うちはイタチの絶望





 うちはイタチ(四歳)は絶望していた。彼は世界のすべては平穏でやさしいものだと思っていた。転べば母が助けてくれて、悪者は父が倒してくれるのだと信じてやまなかった。彼は世の中の不幸というものはかりそめで幸福こそが真理だと思っていた。
 ある日イタチは街外れでおもちゃの手裏剣を使ってひとりで遊んでいた。いつも一緒に遊ぶ子は今はいない。皆ソカイをしたのだと母から聞いていた。
 そこには小川が一本流れていて、イタチは熱中してほてった手を冷やすためにせせらぎに触れた。すると川向に見知らぬ男がいた。

「だれ?」
「た……、たす…………」
「タス?」
「たす……け……て…………」

 男は抜き身の刀を一本杖代わりにしていた。かわいそうに怪我をしている。

「まっていて」

 頷いてイタチは踵を返した。考えるより先に足が動いた。イタチは母を呼ぼうとした。イタチの怪我と同じように彼の怪我も母なら治せるだろう。
 ちょうどすぐ側に忍がいた。イタチは怪我をした男がいるのだと忍の手を引いて走った。小川につくと早く助けて、と願った。
 忍は首を横に振った。

「あれは駄目だよ、うちはの」
「どうして? 母上なら治せるよ」
「あれは敵だ」

 敵? 敵とはなんだ。あれは怪我をした男だ、悪者じゃない。助けを求めている。

「違う。あれは悪者なんだ。木ノ葉に仇なすものだ」
「でも、痛いって……」
「いい子だからあっちに行っておいで。こいつのことは忘れなさい」

 忍はクナイを手のなかであそばせる。イタチはまごついた。男は苦痛を訴える。忍は何かを諦めたように肩をすくめると、戸惑うイタチの瞼を手で覆う。

「うちはの、耳を塞ぐんだ」
「どうして?」

 さとい子どもだったイタチは無知を恐れず噛みついた。おとながおとなを振りかざしている、と思った。忍はひとつ大きなため息をおとすと、手首を使ってクナイを男に投げた。

(聞くに耐えない断末魔)

「……、え?」

 忍はまだイタチの目を解放しない。何が起きたのかわからないイタチは身を硬くした。何だ今のは。

「なに……?」

 せせらぎがやけに大きい。イタチは忍に、あるいは男に聞いたつもりだったが答えは返らない。

「さあ早く家に帰ろう。今日はすぐに眠るのがいい」

 忍は早口に言うと、イタチを連れて小川を離れた。

 あのひとは死んでしまったのだ、とイタチはなんとなく理解した。その晩はまったく寝付けなかった。死という現象にイタチは絶望した。





 うちはイタチ(十歳)は絶望していた。彼は世界のすべては平穏でやさしいものではないと知っていた。この世には守るべき強者と守られるべき弱者がいるのだと信じてやまなかった。彼は戦争を嫌うがゆえに最も幸福になるだろう方法を模索していた。
 ある日イタチは暗部隊員として火影に呼び出しを受けた。隊ではなく一介のヒラが呼ばれたのだ。イタチは名誉に震えながら、呼ばれた場所に赴いた。
 そこには火影ばかりでなく木ノ葉隠れの上役が勢揃いしていた。慌てて膝をつき頭を垂れたイタチを火影が制し、顔をあげさせた。写輪眼を、と言われて戸惑いながら開眼する。

「もうよい」
「はい」
「うちはイタチ、お前を呼んだのは他でもない、うちは一族のことだ」
「よからぬ噂が流れている」

 イタチは知らず拳を握った。彼は父に、いや一族の命令で里に対する諜報活動を行っていた。

「暗部にうちはのスパイがいるのだ、と……誠か?」

 イタチは無言でもって答えた。他にどうすればいいかわからなかった。イタチはまだ子どもだった。処罰されるのだと身をちぢこめるほどには。
 だが上役はそうしなかった。イタチは代わりに命を受けよと宣告された。何の命令だろうかと背筋を伸ばした。
 火影はほんの少し躊躇いを滲ませた声音で告げた。

「写輪眼には写輪眼が必要だ」
「お前の里への忠誠を我らは信頼しよう」
「うちはは何を企んでいる?」

 企み? そんなものは知らない。イタチは何も知らされていなかった。後ろめたい何らかがあるとは思っていたがそれまでだ。

「その企みは木ノ葉に仇なすものだ」
「馬鹿な……皆様ともあろう方々がそのようなあらぬ疑いを!」
「我らとていらぬ騒きを起こしたくはない。だが監視は必要だ、うちはに気付かれず、その中枢にもっとも近いところに」

 火影はイタチを見た。相談役は机を叩く。ダンゾウは彼を凝視する。イタチは相変わらずさとい子どもだったのですぐに意図を理解した。

「イタチよ、これは命令だ」
「……しかし、一族を裏切ることは……」

 イタチは裏切りという言葉の重さにぞっとした。それは父を、一族を欺くことだ、と思った。そのときダンゾウが突然刀を机に振り下ろした。

(木ノ葉の徴がふたつに斬れる音)

「……、え?」

 ダンゾウは半分に裂けた木ノ葉の印を掲げる。何が起きたのかわからないイタチは身を硬くした。何だ今のは。

「うちははこの刃にならんとしている」

 静寂が耳を打った。イタチは目を見開いたまま呼吸さえも止まったように身動きができなかった。

「このままでは戦が始まる。裏切り者はうちは一族全てだ。木ノ葉は、潰れるぞ」

 ダンゾウは低くそう言うと、イタチをギロリと睨んだ。

 うちはは戦火をあおろうとしているのだ、とイタチはなんとなく理解した。その晩は両親の顔を見れなかった。裏切りという事実にイタチは絶望した。





 うちはイタチ(十二歳)は絶望していた。彼は世界が回転する速さを憂えていた。弟の背が百二十を越えるより早く自分が会合に参加させられたことを嘆いた。彼は世の中の幸福というものはかりそめで不幸こそが真理だと思っていた。
 ある日イタチは真夜中父に呼び出された。灯りも付けない八畳の間で母を伴った父は正座を促した。気まずくなって久方ぶりの相対だった。
 両親に面と向かうたびに、イタチは猛烈な罪悪感と嫌悪感に襲われた。父の口を突くのは戦の話ばかりだ。

「じきに本格的な計画が発される」
「…………」
「お前の報告では中枢も薄々感付いている、とのことだったな?」
「…………あぁ」

 嫌だ、嫌だ、戦争は嫌だ恐くて恐くてたまらない、あの哀れな男がまた小川にたどり着いてしまうのだ。

「……お前はこのところ集会を休みすぎだ。疑われるのも当然だろう。疲れているのはわかるが、うちはのためなのだ」

 彼らは気付かない。イタチが父にすがる腕を持たなかったためだ。彼らはぞっとするほど冷えた顔でイタチを見下ろす。そのくせに一族に繋ぎ止めようとする。
 イタチは指先がどんどん冷えていくのを感じた。昔あれほど誇らしく思った血の繋がりが今はただおぞましかった。どうか話がこれで終わりますように、と願った。
 果たして父は口を開いた。

「イタチ、これは栄誉あることだ」
「………………」
「万華鏡写輪眼を開眼し、うちは再興の英雄となる誉れがお前のものなのだ」

 誉れ? 誉れとはなんだ。嫌だ、英雄なんて冗談じゃない。何故あなたはそんな恐ろしいことを言う。

「かつてのうちはマダラのように、な」
「……」
「イタチ」

 父は強い口調でイタチを呼ぶ。イタチは膝の上の拳を握った。すべて言われたとおりだ。“あの男”が語ったシナリオ通りだ。

「俺は……、開眼条件を満たしていない」
「……シスイの死を無駄にする気か」

 暗にイタチが殺害したのだと決めつけた発言だった。父はもう俺を、とイタチは胸の内で呟いた。俺を、見限ったのだ。

(ささやかな衣擦れの音)

「……母上? どちらに」

 母は何も言わずに立ち上がる。そのまま彼女は席を立った。何故だ。

「ミコト」

 襖の閉じる音がいやに大きい。父はゆっくりと長いため息をついた。

「明日も早いだろう、今日はもう休め」

 そう早口に言うと、父も母を追うように部屋を出る。

 俺は彼らと襖一枚を隔てて別の立場になってしまった、とイタチは明確に理解した。その晩はまったく寝付けなかった。父の、母の拒絶という行為にイタチは絶望した。





 うちはイタチ(二十一歳)は絶望していた。彼は世界のすべては平穏でやさしいものだと思っていた。怪我はいずれ癒えるものだと知っていた。彼は世の中の不幸というものはかりそめで幸福こそが真理だと思っていた。
 ある日イタチは弟と剣を交えた。弟は充分すぎるほど成長していた。盲いかけた目でイタチは必死に弟を見た。
 弟の苦悩に比べれば身体の痛みなどなんということはない、とイタチは思った。いたわるかわりに彼は血を吐いた。

「出るものが出たな……」
「どうしたサスケ、これで終りか?」
「本当に強くなったな……」
「サスケ」

 弟は躊躇なく攻めてくる。その攻勢にはしかし、焦りが手にとるように感じられた。

「……クソヤロー」

 イタチには弟の悪態が微笑ましく思えてならなかった。弟はかつてと同じだった。イタチは弟を抱きしめてやりたいと思った。それで彼が楽になるならすぐにでもそうしただろう。
 大腿の傷が痛む。イタチはそれが嬉しい。弟の成長はイタチを喜ばせるばかりだ。
 だからこそイタチはどうしようもなく孤独だった。

「さすが俺の子だ」
「サスケをよろしくね」
「兄さんはいっつもそうだ」

 イタチはほとんど夢を見ている心地だった。父上、母上、サスケ。次いで現れたのは一族の皆。

「イタチちゃん、大きくなったねぇ」
「忙しいなぁ、坊主は」
「お前は俺たちの誇りだよ」

 イタチはひょっとすると死にたかったのかもしれない自分に気付いた。瞬間、身体中に突き刺さる痛み。皆の恨みだとイタチは思う。がくりと瞼が落ちた。

「どうしてこんな」
「裏切り者め……」

 そうだ、そうやってみんな俺を恨めばいい。特に、サスケ。お前は俺を殺して、うちはから解放されるんだ。

(トン、と額を指で叩く音)

「すまない、サスケ……」

 イタチはもう呼吸すらできなかった。視界はまったくの無だった。全身から感覚がなくなってゆく。

「これで、」

 耳鳴りがやけに大きい。意識が薄れる。

「最後だ……」

 イタチは見えない世界がたまらなくいとしく思えて、陰鬱なほどにしあわせな気持ちになった。

 弟もしあわせになればいい、とイタチはうっすら願った。眠るように死ぬのが理想だったが贅沢は言わない。とてつもない幸福感にイタチは絶望した。










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 イタチさあん!はあああかっこいいい!ってなってた時代の遺物。