敬虔な青年とほら吹き燕





 死を楽しみにしているようなふしがある。自分が死ぬのは弟の復讐が果たされるときである。弟は喜ぶだろう。弟は英雄の誉れを受けるだろう。弟は自由となるだろう。弟は、弟は、弟は……。
 彼はその日のために毎朝目覚めた。寝ていればいいものを無理に動いて血を吐きながら、彼は日一日と穏やかな顔をするようになった。激痛とともに光を失いつつあるというのに。



 病床の彼の体は今や呼吸ひとつあまさず弟のためにあった。天に召される直前のヘンリー・クランプ。己の罪深さへの神の慈悲に感謝せよ。

「エドワード・ゴーリーを知っているか」
「……いや」
「そうだろうな、あれは意外に新しい、年齢的にお前は知らんか。いや、気にするな。薬を持ってきた」

 たかだか20余年の人生だ。その半分以上を彼は里に捧げ、罪人として朽ちようとしている。
 彼は敬虔な殉教者であった。狂信的ですらある。神に祈るかわりに彼はその両目を紅く光らせ、祝詞にかわって口をつぐむ。
 哀れと思わないこともない。彼はその信心深さと天賦の才、そして産まれゆえに利用され続けているのだ。自らも木ノ葉隠れという大樹を支える土壌の肥やしになろうと望んでいる。
 里の上層部の賢いところはイタチの性格をよく見抜いたことで、愚かなところはその能力をドブに捨てたことだ。木ノ葉はイタチの使い方を誤った。彼の才は百年に一度のもので、同時にぞっとするほど“木ノ葉らしい”平和論者だった。そのくせ里のためなら返り血や憎悪すらいとわず畜生の道に自ら飛び込むような、忠誠と言うにはあまりに自己犠牲的な忍を手放したのは愚挙だ。俺の存在に気づいていなかったとはいえ、うちはを嫌うが故の排斥は結果的に里に危機をもたらすだろう。
 “須佐能乎”という最強の盾と矛を得たイタチがもし今なお木ノ葉の下で動いていたならば、コトはもっと難しかったはずだ。おそらくは病も患わず、……いや、仮定の話は虚しいばかりだ。もう長くない。イタチにとって必要な事実はそれだけだった。
 横になって天井を見つめていたイタチは時間をかけて半身を起こすと、薬袋を受け取った。挙動に若さが失せている。

「頂きます」

 丁寧に頭を下げた仕草に無駄はない。老人のような空咳ののち彼は袋から粉薬を取り出し、己の命の残りを指折るかわりに包みを数えた。

「『死』というのは『眠り』の兄弟だ」

 ぽつりと呟いた言葉に、彼は顔を上げた。死人のような眼をしていながら、生きている。果てのない洞穴のようでいて、奥に何か光るものがこちらを探っている。いつもながら気味が悪い。

「オスカー・ワイルドを読んだことは?お前はさぞかし幸福だろうな」

 ならば俺は燕になろうか。その身からありとあらゆる輝きを摘みあげ、お前の望みをかなえてやるのだ。

「安心しろ、鉛の心臓はきちんと燃やしてやる」
「……相変わらず悪趣味な。あなたが冬を渡らぬわけがない」

 彼は幸福に見合わないしかめ面をして、吐き捨てた。確かにそうだ。俺は葦に恋をしないし彼のために涙を流すこともないだろう。足元で息を引き取るわけもない。死ぬのはイタチだけだ、もう半年も経たないうちに一族の裔は残りひとりになる。

「…………まあ休め。いずれ任を与える」

 赤い眼が伏せられ、瞼の裏で黒く濁る。その翳りが彼の命がもう消えかけていることをまざまざと意識させた。所詮延命に過ぎず副作用ばかりが目立つ薬、止まない咳、衰える視力。あらゆる要素は青年を老人にする。今もまた口から血反吐を吐き出した。
 彼には願いを叶える燕はいない。ただ金箔をこそぎ落とされた身窄らしい姿を晒している。
 ――哀れだな。
 心からそう思い、背でも擦ってやろうかと手を伸ばした瞬間に、彼はぎろりと俺を睨めつけて笑った。

「……俺は幸せだ。あなたにはわからないだろうけれど、確かに」

 そのきつい赤は、何故だか弟を連想させた。

 そうだ、確かに彼は幸せだった。笑うだけの余裕があるほどに彼は――



兄さん俺はなんて果報者なんだろう、あなたの幸せは俺の幸せだ、俺はあなたの幸せを願う権利を持っている、なんて幸せなことなんだろう、兄さん御覧よ俺は笑っているだろう、俺のかわりによく見てくれ、俺はきっと誰よりも幸せな弟だ



 ――死を楽しみにしていたようなふしがあった。自分が死んだのは弟の復讐が果たされたときだった。弟は喜んだ。弟は英雄になった。弟は自由となった。弟は、弟は、弟は……。
 彼は訪れた時を享受した。真実を明かせばいいものを必死に偽り血を吐きながら、彼は思ったより穏やかな顔で死んでいた。激痛とともに光を失ったというのに。



 天に旅立った彼の体は今や細胞ひとつあまさず俺の元にあった。天に召されたあとのヘンリー・クランプ。さて、信仰はいかように死せる敬虔な青年を救うのか。










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