秕の花





「何だこれ」
「花」

 彼は変わっている。
 知古であるにも関わらず知らないことは多かった。彼は自分のことを語らない。もう出会って何年にもなるのに、俺は彼のことをうまく掴み切れていない。
 本当に自慢ではないが、俺は人間観察力には長けていた。その人物の言動態度からおおむねどのような来歴でどのような性格か、ややもすれば家族構成までの推測がつけられる。よっぽどうまく演技していない限り、おおかた外れたことはない。もともと“まとも”な人間として産まれてこなかったために、周囲のことを必要以上に分析してしまう癖がいまも抜けないのだ。自分でも卑屈だと思うが、どうにもやめられない。だが彼に関してはそんな観察眼も機能しない。
 うすく浮かんだ曖昧な微笑みは、穏やかに干渉を拒絶する。会うたびごとに外見の年齢は異なるのに、常に同じ雰囲気をまとっていて、ひとり違う時の流れにいるのだということを実感する。
 彼は長く、本当に長く生きている。想像の及ばないような昔から、だ。そもそも本人でさえ正確な年齢を把握しているわけではないらしい。限りのない生というものが、事実として大きな溝となっているのだ。妻を亡くして以来隠りがちになったいま、こうしてたまに会いに来るのも俺のような変人くらいだと笑っていた。
 そんな彼の部屋は常に無駄が無く簡素で、必要最低限の家具だけが並んでいた。どれもなんということのない、適当で派手すぎず、まるでこの部屋に初めから置かれていたかのような調度品たち。ひとつひとつはさして特徴もないのに、人が住んでいるという実感が浮かばない。落ち着かないでもないが、どこか寒々しくなる。
 その中にふと今まで見たことのないものがあった。素焼きの小さな鉢植えだ。窓辺の棚の上に置かれていて、赤くたっぷりとした花弁がいまにもほころびそうだ。他の家具と同じように無個性なのに奇妙に生々しい。

「花なんか育ててたか?」
「ずいぶん前からね」

 そうだったろうか、と首を傾げながら鉢植えをのぞき込むと、そこには赤い髪の少女が植えられていた。
 驚きすぎて声も出ない俺に気づいていたのかいないのか、彼はコーヒーを淹れるよ、とキッチンに姿を消した。生返事を返しながら、俺の目はその少女――いや、花、なのか――に釘付けだった。
 薔薇のような紅の髪は長く、しどけなく横たわった細い身体を覆っている。蕾のていでどうやら眠っているらしい。足元は青い葉に覆われて見えないが、おそらく土に埋もれているのだろう。花なのだし、これは植木鉢だ。当然といえば当然だが、しかし、奇妙だ。
 俺は担がれているのだろうかとも思ったけれど、彼はそういった男ではない。確かにさっきは花だと言った。だとするとこれが人のように見えるのは俺だけなのかもしれない。
 しかし花が寝息をたてるだろうか?
 俺はぐらぐらと揺れる頭を抱えて、おそるおそるその植物、あるいは人間に手を伸ばした。
 大きさは片手の平にすこし余るくらいだろう。立ち上がってみれば20センチはゆうにありそうだ。

「変な花だな」

 あえて口にする必要もないことを言葉にする。そうすることで多少は目が覚めやしないかという儚い希望でもって。もしかしたら俺の見間違いかもしれない。
 その希望は、小さな欠伸に一蹴された。

「……だあれ」

 彼女はゆったりと優雅に身を起こした。花弁のような、豊かな赤髪がふわふわと柔らかくほどける。ミルク色の肌は触れるまでもなくしっとりとして濡れたように美しい。
 思わず花が起きるさまにみとれていると、彼女は何事かを喚き始めた。

「あなた、あのこの何なの?」
「は?」
「どうしてここにあなたなんかがいるの。あのこはどこ?」

 矢継ぎ早に浴びせられる質問の数々に答えることができずにいると、花はそのつぶらな瞳に険をにじませる。

「あのこ以外はここにいてはいけないのに」

 花はとたんに俺に向かって牙を――いや、花だから棘と言うべきなのだろう、棘をむき出しにした。
 妙な威圧感に圧されて、伸ばしたままだった手を引く。彼女はなお不機嫌そうに俺を睨んだ。かわいらしい少女の姿だが、その目にはぎらぎらと危うげに輝く狂気がある。
 可憐な花に似合わない攻撃的な姿はいっそ痛々しくも見えた。だが俺にはどうしたらいいかわからない。子どもの扱いも花の扱いも俺は不得手だ。
 ふと、いきなり花の苛烈な注意がそれた。その視線を追うと、この家のあるじが音もなく立っていた。

「エーリカ、」

 彼の声が聞こえると、花は急にその棘をしまいこんだ。蕾が花開くような微笑みを浮かべて、声の主を呼ぶ声は甘い。それに応えるような彼の表情は笑ってこそいたけれども、実に下手くそな笑い方だった。歪に唇の端をつり上げただけで、無表情なほうがいくらかましなような、端正な顔には似合わない醜い笑顔。
 それでも花は彼に対して瑞々しく咲き誇り、色と香りを強くする。子どもがするように屈託無く、ゆるやかに腕を伸ばすと、今度は妓娼がするようにあだっぽく、艶を含んだ声で言う。

「あいしてるわ」

 彼は返答すらしない。

「すきよ」

 言い募る彼女の言葉を無視して、彼は歩みを進めた。呆然と突っ立っている俺のことは目に入らないようだった。

「あなたを」

 歌うようななめらかな愛の囁きは絶えず続く。

「あいしてる」

 だが、彼は答えない。
 代わりに醜悪な笑みを貼り付けたままその指を彼女の細い首にかけると、まるで手慰みに花弁を愛でるように、

 ぽきり

 、と折った。
 あまりに簡単にやってのけたので、まさにあっと言う間もなかった。悲鳴さえ上げずに彼女は笑ったままくたりと萎れて、あれほど艶やかだった姿が見る間に崩れていく。

「かわいそうに」

 薄ら寒いほど無感動に彼は哀れみの言葉を落とした。茎(あるいは首)の切断面から水がこぼれて彼の華奢な指を濡らす。どんどん乾いていく花を見つめる彼はいつの間にか笑うのをやめていた。
 彼は不自然な同情を寄せたりはしない男だったはずだ。だがこれは脆弱な花を玩弄しているだけではないのか。それを哀れだなどと、身勝手な嫌悪をぶつけているだけではないか。

「おい……」

 思っていたよりかすれた声に自分で驚きながらどうにか声をかけたが、彼はこちらを見もしない。今し方彼が折り取った花のように細い首筋が目に障る。ずきり、と頭の奥に痛みが走った。髪の碧さもどこか冷えて見え、硬い横顔はほとんど人形のようだ。

「こんなに咲いても意味が無いのに」

 白い頬は、彼女が完全に枯死して皺くちゃの干からびた姿になってしまうのと呼応するように色を無くす。抑揚の無い言葉からはどんな感情も拾えなかった。

「遅すぎたのでもなんでもない、きみは初めから――」

 彼の語尾と、指先が震えた。ずっと手の内の花を見ていた目がふいにそらされたかと思うと、彼はぐしゃりと枯れた花を握りつぶす。
 ああ、いま、少女は死んだ。死んでしまった。

「……ときどき、こうして手折らなければいけないんだ、」

 そう言った彼は緩慢にこちら側に視線を移し、今度は驚くほど綺麗に微笑んだ。泣き出しそうなような笑い転げそうなような、どちらともとれる曖昧さで形作られた微笑みだ。口元と目元とをかすかに動かしただけの、ほとんど非の付けどころのない無情な笑顔に、蜜色の瞳だけがぎらぎらと眩しくてぞっとする。こいつは、誰だ?

「これはぼくと同じものだから」

 その頬にかすかに亀裂が入る音を、俺は確かに聞いたのだ。







「…………大丈夫かい?」

 はっと目を開くと、金色の目が心配そうに俺をのぞき込んでいた。

「うなされていたようだけれど」
「……あ、あぁ」
「きみがこんなところで眠るなんて、よっぽど疲れてるんだな」

 くすくすとロックは笑う。普段通りの穏やかな表情に肩から力が抜けていく。
 どうやら短い間寝てしまったらしい。妙な汗を全身にかいている。寝覚めのコーヒーは、と促されて、湯気がもうもうと立っているそれを一気に飲み下す。熱い。眠ってしまってからそれほど長くは経っていないようだ。
 すこしいぶかしそうな顔をしながら、彼が言った。

「悪い夢でも見たのか?」

 悪夢、ね、まさにその通りだ。あれが悪夢でなかったなら何だろう。

「悪い、というか、妙な夢だな」
「ふうん」

 首をことりと傾げたが、彼はそのさきを聞くつもりはないらしい。立ち消えになった夢の話は、だが俺の胸の中には黒いしこりとなって残った。
 ゆったりとどうでもいいような世間話を織り交ぜながら(余談だが彼はこんな辺境惑星に住んでいるくせにやたらと世情に明るい)、さりげなくこちらの近況を促してくる。妻も元気でやってるよ、と言うと嬉しそうに笑う。彼に同じ質問を返すと、いつものように毎日退屈で楽しい、という旨の言葉が返ってきてこちらも忍び笑いを漏らす。そうして他愛もない話をしているいる間にも、頭の片隅にさっきの夢の残像がちらついて離れない。
 赤い花の瑞々しい花弁、その華やかさよりも、枯れ萎れていった姿のほうが瞼に鮮やかに縫い止められている。そういえばあの夢の中で彼はなぜあの花を土から引き抜いてしまわなかったのだろう、そのほうがまた生えてくる心配もなく、てっとり早いだろうに、何も「縊り殺してしまう」必要はなかったのに……。

「……どうしたんだ、今日は?」

 また彼が首を傾げた。今度は心配そうだ。

「やっぱり疲れているんだろう」
「かもしれん」

 肩を竦めていらえを返す。角度によってわずかに色を変える黄金の瞳は、あの夢の中のようには光らない。困ったような微笑みも、あの人形のような少年には浮かべられないだろう。

「駄目だよ、無理をしては」

 優しげな言葉。紛れもなく彼は彼だ。
 あの夢はいったい何だったのだろう。そもそも、そうだ、彼は花なんか好まないはずだ。事実この部屋にだって花瓶のひとつもないのに。

「花」
「え?」

 ぽろりと口からこぼれてしまったのを、彼は聞き逃してはくれなかったらしい。苦笑しながら俺は言った。

「すこし花でも置いてみないのか、この部屋」
「いや、」

 返答は早かった。

「好かないんだ、ああいうものは」

 彼は俯いて、ごく小さく呟いた。金の目は薄い瞼と長い睫に隠れてよくは見えない。
 はっ、とする――そもそも俺は彼の何を知っているつもりでいるのだろう、あの夢にしろ、あの瞳にしろ。
 過去を回想しているとき、ロックはこちらの目を見ない。ついと視線をそらして、悲しいような困ったような顔をして、口元だけで笑うことが多い。ちょうどいまのように。そんな顔を俺はいつも見なけりゃよかった、と思う。

「それに、貧乏性なんだよ、ぼくは」

 諦めのような吐息がふ、とそのうすく歪んだ唇からこぼれる。
 本当は、そんな理由ではないのだろう。彼の周りにはいつでも処分できるような、すぐに取って代えられる物しかない。根付くような花なんかは以ての外だ。言われなくてもそのくらいのことは想像がつく、彼の孤独を想像するなんて残酷なことだとも思うけれど。
 だが、それだけだろうか?
 何かもっと別の、俺の知り得ない、思いもつかないような憎悪と悲哀の暗い穴が、彼の過去にはぽっかりと開いている。うすっぺらい膜のようなもので遮られて普段はうまいこと隠されているそれは、ときおり、彼がこうした笑い方をするときなんぞに透けて見える。もしくは隠すことなどできないほど大きな穴がそこらじゅうに点在している、それをやんわりと、しかし触れられない限りは決して見えないもので覆って。
 俺はそのうちのひとつをのぞいてしまったのだろうか。彼自身の来る物を拒まない惨さと深くは追わない不用意さのために。
 彼の手のひらがコーヒーカップの取っ手に添えられる。その手は傷ひとつなく白い。

 あの花は何という名だったろうか。
 俺は鮮烈に覚えている、赤い花弁の色、枯れた灰褐色、そして崩れて萎びていったあの姿。それに、彼の微笑みに一筋の傷が入った音を。かけそく醜いあの音を。

 だが、花の名だけがどうしても思い出せずにいる。










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