おとぎ話の肖像





 きみの祖父は、とモデルが急に口を開いたので、わたしは慌てて彼に声をかけた。

「ちょっとその話は待ってくれ、いまきみの顔を描いてるところなんだ」
「え」
「ああ、そのまま! そう、そのままだよ」

 彼はおとなしく、「え」のかたちのまま表情を固めた。
 そこにあるのは青白く硬質な印象を与える若い皮膚、薄く頼りなくさえある身体。不健康というほどではないが白い皮膚は黒い外套に覆われており、なにひとつおもねるところなく背を伸ばし、赤い天鵞絨で仕立てられた椅子に浅く腰掛けている。他に一切の飾りはない。
 はっきりと浮き出た鎖骨につながれた咽頭は細くまっすぐに伸びて、細い顎を支えている。ところどころ幼げに薄紅色をして白いばかりではない皮膚だが、印象としてはただしっとりと若かった。男ですらない、まだ身の内から弾けるような溌剌とした生命力の伺えようもない、脆弱な肉体。
 薄紅の唇、すっと通った鼻筋、軽く上向いたすこし長いまつ毛は髪と同じく若葉の色だ。淡い色合いのなかで唯一、つり目がちな瞳の琥珀色が猛禽類のそれを思わせ、同時に彼の強い意思が外側に透ける唯一のものでもあった。じっと見つめていると頭の芯がチリと焦げるような気がしていつもわたしのほうから目を逸らしてしまう。だからだろう、すでに少年の肖像で埋められたカンバスのなかで瞳だけが色で埋まらない。
 馬毛の油筆で何度も色を取るものの、決め兼ねて筆洗いで落としてはまたチューブを絞る。彼はその間もただ言われた通りにまっすぐにわたしを見つめる。金色だ。熱を加えた蜂蜜のように濃い。
 焦ることはないのだ、と思う。この絵の完成を急ぐことに意味はない。この肖像画は描かれ始めてからすでに100年が過ぎているのだから。
 モデルの名はロックと言う。かの伝説の超人、その人である。





 いったん筆を置いてロックに声をかけると、ふー、と短いため息とともに立ち上がり、伸びをした。彼にしばらく石膏像のかわりでいてもらった後は、庭に出てお茶と菓子を食べさせるのが決まりだ。アトリエの油臭さにもいい加減辟易してきている。
 簡単に片付けをするのでロックに先に庭に出ているように言うと、彼は静かに笑って出て行った。
 筆が固まらないよう筆洗いで洗い、備え付けの蛇口で濯いで干す。ついでに手を洗って作業着を脱ぐとベランダに出た。
 外はまだ正午すぎで明るく、夏の気配に木々が青々としているなかを柔らかい風が通り抜けていった。庭師の手がはいったばかりで、噴水ひとつない狭い庭園が今ばかりは広々としている。
 木椅子に腰かけてぼんやりと庭を見るロックは、こちらの気配に気がついたのかお疲れ様、と振り返ってまた笑った。




「きみのお祖父さんも、腕のいい画家だった」

 彼のためにと準備させた焼き菓子はどうやらお気に召したようで、ふたつめに手を伸ばしながらロックが言った。

「いきなりだな。職業画家といっても、貴族のシステムがまだ生きていた時代の話で、わたしのこれは趣味みたいなもんだが。父も商売人だったし」
「趣味であれだけ描ければ大したものだと思うけど」
「はは。お世辞かい? まあ悪い気はしない」
「ひねくれかたもきみたちはそっくりだよ」

 苦笑しながら、彼はかしゅ、とクッキーを口に入れる。指の流さ、顎の筋肉の動き、唇の厚み、どれもデッサン中に嫌というほど把握し、あるいは祖父が、父が手帳に書き残していた。

「まあ、筆が遅いのは血筋かな」

 いたずらめいて言われて頬を掻く。

「きみの絵は、わたしが手を入れる前からほとんどできあがっていたんだ」

 同意も何も返ってこないが、おそらく既知のことだろう。
 彼の肖像画をはじめに描きだしたのは祖父だった。祖父は美術史の教科書に載るほど画才のある人で、風景画を得意としていたが、晩年は人物画に没頭した。教科書にはここまでしか描かれていないが、わたしと、わたしの父はその原因を知っていた。
 手記と本人の口述から判断するに、祖父はなんとしてもこの少年をモティーフにしたかったらしい。何を犠牲としても彼の絵を描くために、祖父は文字通り必死だった。
 当時の手記に彼についての記述が残っている。何度も何度も断られたが、その倍の回数頼み込んだ祖父は身内の目から見てもやや偏執的だったと思う。
 ようやく了承、というか諦められたのだろうが、とにかくモデルになる、という約束までこぎ着けたが、かわりに条件がひとつあった。曰く、「モデルをやるのは3日間だけ」。
 祖父は半狂乱になりながら描き、どうにかデッサンだけはとったが、手記には本当に3日で姿を消したロックへの恨み言が延々書き連ねられているし、死ぬまでこのことは根に持っていたらしい。
 しかし、そこで終わる祖父ではなかった。そんなことで諦めていればはなから“伝説”をモデルにしようなどと思うまい。10年かけて渋るロックをもう一度捕まえ、今度は衣装まで準備した。黒い外套と赤い天鵞絨の椅子、それでだいたいの構図が出来上がる。しかし今度も3日経つとまたいなくなってしまい、祖父は悲嘆にくれながら、ようやく筆をとった。本人がいなくともその目に、記憶に焼き付けたものがあれば、完成はせずとも形にはできるはずだと。
 ……しかし、うまくいかない。どうしても描けない。結局また10年、片手間に絵を売りながら人を探し、描き、探し……などとやっているうちに、祖父は老いた。いつの間にか大家となっていた祖父と違い父は絵心が無かったが、その遺志を継ぎ、やがてわたしにお役が回ってきたのだった。
 だいたいそんなわけで、この絵は祖父の絵でもあり、父の絵でもあり、わたしの絵でもある。

「ゲオルグ、絶対に見せてくれなかったな……」
「祖父さん、わたしには自慢気に見せてたけど」
「ずるいな」

 あまり本気でそう感じてはいないだろうが、文句を言われて肩をすくめる。

「というか、きみがもっと長くモデルをやってくれていたら、こんなことにはならなかったと思うんだが」
「えっ。だって、それはちょっと……恥ずかしいじゃないか」
「100年もやってて今更何が恥ずかしいんだ」
「いつも、もうそろそろできたかなと思って見にくるんだよ。宿題を見るつもりで……。でも、なかなかできない」

 ロックはそう言って、手に持ったカップからアッサム・ティーをひとくち啜る。

「いまになってほっぽりだすわけにもいかないだろう?」
「そういうことは冗談でもやめてくれ。わたしが呪い殺される」

 両手を挙げて大げさに言うと、彼は肩をすくめる。
 彼にとって、あんな絵は不必要なのものなかもしれないし、そもそもことの始まりが無理強いからなのだから、こちらとしては彼にお願いするしかないのだが。
 彼の姿勢、質感、体、表情、空気感の表現された絵の具の筆致、そして手記に、想い出に残されたことばのひとつひとつ。祖父が何年もかけて捕らえようとしたもの。金色の目。そしておそらくは、こうして思い出話をともにすること、笑顔、声。

「……あの絵の中には、」
「うん?」
「あの絵には、祖父さんの魂と、父さんの思いが篭ってる。絶対にきみに完成したところを見てもらわないと、ほんとに末代まで祟られてしまうよ」

 ロックは、やっぱり恥ずかしいなあ、と困った調子で微笑んだ。











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