クラウス・ハンザと未知との遭遇





 ごく普通の星立大学の院生であるクラウス・ハンザは、銀河連邦統一アカデミーに招致を受け、冷や汗をかきながら広大な敷地に足を踏み入れた。
 実家も代々の学者一族でそれなりの研究功績を残しており、現在席を置いている大学もそれなりの施設を持っているのだが、こちらはさすがの連邦政府お墨付きだけあって、建物じたいの大きさが半端なものではなかった。敷地内には噴水付の庭があり、立派な宿泊施設やスポーツジムもある。帝国時代の建築物の保護も兼ねて、遠くの星の公会堂を移築・改造したひときわ風光明媚な建物がメインラボだ。大きく特徴的なかたちをしたアーチを抜けると、真っ白なその建物がどんと建っている。繊細な彫りが施された梁、はめ込みの窓は大きい。天井が非常に高く、堂々とした建築は外観だけ見れば美術館か誰か大金持ちの邸宅だと言われたほうがそれらしい。
 入退場にはIDカードとスキャニングが必要で、各施設に最先端のセキュリティシステムが整備されており、国家機密の保全と内部設備の壮麗さが両立されている。センサーを張り巡らされたゲートをくぐると、そこから先はIDカードと身体スキャン情報をもとに出入りの許可・不許可がわかれ、前もって登録がなければ安易な立ち入りは許されない。

『照合完了しました。どうぞお入りください』

 アナウンスにほっとしながら、クラウスはメイン・ラボに進む。建物の内側から見れば、外から指す陽の光が窓を通って複雑な模様を描いた。内装も白でまとまっていて清潔感がある。ふかふかとした赤い絨毯がまっすぐに延びた廊下のあちこちでは、のりのきいた白衣を羽織ったさまざまな研究者が思い思いに過ごしていた。
 並び立つ著名な彫刻の復刻品を見上げ、クラウスはほう、とため息をついた。高い天井や豪華な内装に気圧されると同時に、感銘も覚えたからだ。
 周りを通り過ぎてゆくひとびとの中には見覚えのある顔もあった。ただし画面上での、という注釈付だが。銀河中の最新の研究を行う機関、その名に恥じぬ顔ぶれに興奮を隠せないクラウスは、深呼吸をしながら上着のポケットから携帯端末を取り出し、メールボックスを確認した。

 『この度は突然の申し出を受けていただき、心から感謝いたします。前述の通り、現在我々のチームはあなたのような若い才能の育成に力を入れております。宇宙で最も優れた設備と環境と先進たちがあなたのご来訪を心からお待ちしております。つきましては右の研究室までお越しください。当方助手が迎えに参ります――Sagittarius:301』

 サジタリウス、古い星座のひとつ。ここはフロアーごとにそれらの名を当てられている。地図を表示させると、それほど遠いところではないようだが、時間があまりない。
 最初から心証を悪くするのも嫌だし、急がなくちゃ。
 そう考えながら、クラウスは足早にロビーを後にした。





 長い長い廊下をエレベーターを目指して駆け足に進む。道は広いのだが、意外と入り組んでいてわかりにくい。地図の通りに進めばよいというものの、時間との兼ね合いもあってクラウスは少々焦っていた。

「あっ」
「おっ、と」

 と、ちょう角を曲がったところで、出会い頭に小さな影とぶつかった。
 ぶつかった、というには衝撃は軽かった。ぽすん、と軽い音がしたくらいだ。
 クラウスの胸より下くらいまでしかない背丈、柔らかいボーイソプラノがすいません、と詫びる。

「いや、こちらこそ。大丈夫かい」
「はい。ごめんなさい」

 髪がふわりと揺れ、つぶらなスカイブルーの瞳がすまなそうな色を浮かべた。大人びた表情だが、輪郭なんかがまだ丸くて、せいぜい10歳くらいだろう。あまり日に当たっていないらしい青白い肌に頬ばかり紅潮している。そのふっくらした右頬には傷を覆うシートが張られていた。寝間着のような白いシャツに白いコットンズボン、それにスリッパという出で立ちは、この施設にはすこし不釣り合いだ。
 しかし、何でこんなところにこんな幼い子が。

「……あ、あの?」

 じろじろと見ていたのが気になったのか、少年は居心地が悪そうにする。

「あ、いや、ごめんよ」
「いえ、ほんとうにすいませんでした。……失礼しますっ」

 それだけ言い残すと、彼はぺこりと会釈だけして、ぱたぱたと横を駆けていった。その背中を見送りながら、クラウスは違和感に首をかしげた。
 ここに着いてからいままですれ違った中でも一番の若さだ。華奢な首にIDカードはかけていたが、黒いカードなんかほかに見たことがない。
 彼は研究員だったのだろうか? だとしたらとんでもない天才児ということになるが、今の連邦法では16歳未満の飛び級は認められていないはずだ。
 ふと、彼が走ってきた方向を見る。

「――っ!?」

 そこには、わずかだけれど血痕がぽつぽつと落ちていた。
 さっきの少年はどこか怪我をしていたのではないか。こんな滴るほどの出血で広い研究所を走り回るなんて……。

「お、おい、君っ!!」

 クラウスはきびすを返すと、少年の後を追うために走った。




「君、待ちなさい、君ッ!」

 そのちいさな背中はすぐに見つかった。運動不足を呪いながら、彼の細い肩を叩くと、きょとんとした青い目がこちらを振り仰ぐ。

「……あの、すみません、まだ、なにか……」
「君、迷子なんだろう?」
「はい?」

 素っ頓狂に裏返った声を出した子どもを、膝をついて真っ正面から見る。気圧されたのか軽く後ずさろうとするのを、肩に手を置くことで制した。

「こんなところに君みたいな子がひとりでいるなんておかしいじゃないか。お母さんは? お父さんでもいいんだが、誰かいないのかい。怪我しているんだろう、医務室まで連れて行ってあげよう」
「え、えっと、あの」
「しかし信じられない! 君みたいな子に怪我をさせたまま放って……!」

 困り果てたような、それでいて透明な青い目に見つめられ、クラウスは言葉をぐっと飲み込んだ。何も知らないらしい子どもにそれ以上のことを言うのは躊躇われた。

「いや、言いづらいようなら言わなくてもいいんだ。でも、たとえば君が実験に参加しているようなら」

 少年はいよいよあわてて、うろうろと目を泳がせた。あやしい。あやしすぎる。
 たとえ科学発展のためだとはいえ、こんな小さな子を犠牲にしてまで達成される未来などクラウスには認めがたい。彼はいかな生物実験も嫌いだった。そもそも流血などがたとえ創作物でも直視できないような性格なのである。
 さすがに廊下のど真ん中、ざわざわと周りも騒がしくなってきた。決意をかためるクラウスに、蚊の鳴くような声で少年が言う。

「あ、あのう、ぼくはちがうんです……」
「違わん違わん、はっはっはっは」

 唐突に豪放磊落な笑い声が背後から聞こえて、クラウスは首をぐるりと回した。
 野次馬の研究員たちの間から白衣を着た大柄な男性がのしのしと、まっすぐにこちらに歩いてきていた。

「実験体といえば実験体だ、文句は言えんなあ」

 初老で白髪が目立っているが、低い声と2メートル近い上背、それにがっしりとした体格に白い髭面で威圧感がある。色白で痩身のクラウスとは比べものにならない。首から下げたIDカードはブルーだ。
 大きな声に唖然としていると、少年がため息をつく。

「困ってるみたいじゃないか、ロック」
「……モーリス……人が悪いよ」
「え?」

 少年と顔見知りらしい男は、腰に手を与えてがはははと笑う。周囲の喧噪も彼の姿を見て落ち着いたらしい。このいろいろとでかい大男もここの研究員のようだ。

「うちの迷子の坊ちゃんを保護してくれたのは、君かな?」

 首を傾げると不思議な愛嬌がある。クラウスは少年のリラックスした様子に警戒をといて、困惑しながら名乗った。

「僕はクラウス・ハンザです」

 それを聞いた途端、少年と男は顔を見合わせた。
 妙な間に、さらなる困惑がクラウスを襲う。大小ふたりの顔を交互に見返してみるが、その表情からは何も伺えない。
 ややあって男が頭をボリボリと掻き、少年はただ首を振る。

「ロック、おつかいは見事に成功だ。あとでおこづかいをあげよう」
「……どうも、ありがとう」

 ロックと呼ばれた少年は、天を仰ぎながら言った。











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