海馬君と城之内君と僕と課後補修。





 海馬君はプルプルと肩を震わせた。ミシッ、と彼の手の白いシャープペン(KC製だ)が音を立てる。

「遊戯!」
「ひゃいっ!」

 いきなり呼ばれてびっくりして舌を噛んだ。じろりと睨まれて、空気的に笑って誤魔化せない。頼みの綱の城之内君はさっきから自分の当てられた問題にかかりっきりだ。

「大問の三、カッコ二番。xの値は何だ」
「え、えーと……x=−3……?」
「……ほー……それでyは出たのか?」
「う……で、出てません……」

 あ、シャーペンが曲がった。べきっと。
 舌打ちが聞こえ、キッ、と鋭い目が城之内君を向く。

「凡骨!」
「るせぇな、わーってるよバカイバ!」
「何だ貴様その口は! さぞや回答に自信があるのだろうなぁ!」
「おう! 間違いねえ! 見ろこの見事な証明っ!」

 プリントをぱしっと受け取った海馬君の目がするすると動い……あ、シャーペンが折れた、完全に。ただの二本の棒と貸したそれは、片割れがガツンと床に落ちた。僕と城之内君の未来だったりしてあはは……笑えない。
 しいん。
 教室に静寂が響いた。
 指先から血の気が失われていく反面、僕はどこか冷静に海馬君の第一声を予想していた。机をひっくりがえす勢いで立ち上がり、「この屑どもめがぁ! 思考力というものを持たんのか貴様ら!!」とかなんとか怒鳴られる覚悟で。

「……まず遊戯」

 おもむろに海馬君は口を開いた。思ったより勢いがなくて逆にまごつくと、またぎらっ、と睨まれる。

「は、はいっ」
「問題点はふたつあるが、第一に貴様は解くのが遅すぎる。百マス計算からやり直せ馬鹿者。二つ目は八行目、a=23を@の式に代入のところだが……」

 と、海馬君が赤色ボールペンで指し示す。ちなみにKCry

「あ! 2aだ……46−38かあ」
「そう、かけ算と引き算が出来れば間違う筈がない、初歩的なミスだ。何故にこんな簡単なことが出来んのか甚だ理解しがたいが、よかったな、次の問題も類題だ。せいぜい這いつくばって解いてみせろ」

 はいっ、と返事をすると、さっそく次に取りかかった。内容はあれだけど、淡々と言われると意外と素直に聞ける。

「次に凡骨」
「お、おう」
「貴様は字が汚い。読めん。8と6の見分けがつかんとはどういう了見だ。ああ、犬には人間の字など理解出来んのか」
「……っるせぇなぁ書き直しゃいいんだろうがよ!!」

 ……とまあこんな調子で、始終「貴様らの脳ミソはミジンコ以下だ」とか「何度同じミスをするか愚鈍」とか「低脳……いやむしろ無脳か……」とか色々言われながらも、とりあえず補修課題は終了した。
 結局海馬君は初めのうちのリアクションはどこへやらで、きびきびと罵声と指摘を使い分けては僕らふたりに一から数学を叩き込んでくれた。
 曰く、「貴様ら馬鹿の相手をするのと能無しどものプログラムを修正するのとは精神的な損傷が限りなく等しい。無駄な体力を使うよりは仕事だと思ったほうが効率的だ」そうだ。……成る程仕事テンションだったんだね、これ。

「はぁー、しっかし数学なんて文系にいるかよっての!」

 城之内君は伸びをしながら言った。海馬君は赤ペンで僕らのプリントに100、と書くと、それぞれに海馬瀬人、とサインをいれる。これが彼の出席点のかわりになるのだ。

「しょうがないよ、僕ら赤点だったんだし……」

 海馬君はちら、とこちらを見た。その目は明らかに「こんな問題で25点も取れないのか」と言っている。うう……せめてはっきり言ってよ。

「理系のひとはやっぱりすごいよ、ねぇ海馬君」

 なにがねぇ、なんだか。視線に圧し負けたと言ってもいい。
 案の定彼は視線を外し、突然ジュラルミンケースからプリントの束を取り出すと、空欄を埋め始めた。文理クラス分け希望調査、二年D組一号、海馬瀬人。名以外は白紙だ。末尾の保護者欄には知らない男性の名前があって、実印が捺されていた。海馬君は見ている僕を気にもとめずに、次の書類に向かう。今度は英語だ。

「一学年で身につけておくべき知識もないくせに、よく言うわ」

 にわかに答えが降ってきた(海馬君はいつも突然だ)。耳が痛くて言い返せない。今回のテストは三年へのステップということで、今までの総復習が中心だった。それを四角一から七番まで、海馬君の解説がなければ解けなかったのだから。
 そんなに頭のいい海馬君が何故僕らと三人で放課後居残っているのかと言うと、まあ当然ながら出席日数のすくなさと、テストを受けなかったからという理由がある。噂ではどれだけ教えてやっても万年赤点コンビに先生たちが匙を投げたらしい。で、ちょうどよく海馬君が押し付けられたのだ。
 数ヶ月前にアメリカに行ってしまったときはもう二度と帰って来ないのかと思ったが、今月に入ってからは皆勤賞だ。数日中に槍でも降るんじゃないかなぁ。

「ハイハイ、オレたちはどうせオメーとは頭の出来が違いますよ。第一理系のヤツが何でウチのクラスなんだよ」
「努力もせずに、吠えるのだけは一人前だな。そもそも俺は文系だ」
「ンだコラケンカなら買って……あ?」
「え?」
「何だ……。馬鹿面を二つも下げるな、虫酸が走る」
「いや、つかお前文系だったのかよ!?」
「僕も海馬君は理系だって思ってた……」

 えっ、だってデュエルディスクとか作っちゃう人が文系ってなにそれ! 不公平だよ! 身長高くて頭もよくてなんかもういろいろ反則なんじゃないの? なんなの?
 ……まあでも海馬君はよく本読んでるしなあ……。主に外国語の。そういう人じゃないとするりと「凡骨」とかいう言葉は出ないよね。「雑魚のととまじり」とかね。

「いるよね、数学の得意な文系って……。やっぱ化学とかもできるんだよね?」
「俺に苦手科目はない」
「はあ……」

 Seto Kaiba。今度のサインは筆記体だった。
 めくられた次のプリントは見覚えがある。ちょっと前の古典の小テストだ。氏名欄に縦書きに海馬瀬人、の瀬の字のさんずいまで記入されたところで、ピタリとシャーペンが止まった。

「ふえ」
「さっきから何を見ている、気色悪い」
「いや、海馬君字きれーだなって思って」
「……」

 ゾゾゾという効果音が聞こえた気がした。そんな嫌そうな顔しなくてもいいじゃないか……。

「お、ホントだ、うまいのな。字には性格出るってのは大嘘だな!」
「ききき気色悪いッ……」

 何故か嬉しそうな城之内君の台詞に海馬君がゾゾゾからキィィィイにシフトした。ヒステリックだなー、そんなんじゃ将来ハゲちゃうぜー。とは口にしないけど。僕もまだ命は惜しい。

「貴様らさっさとこれを提出して来たらどうだ!」

 バシッと叩きつけられたプリントを受け取りながら、城之内君と目を合わせる。海馬君の手元にはまだまだプリントが貯まっていた。これを消化するのは結構骨だろう。

「えっ、一緒に行こうよ……」
「ええい、俺を貴様らのくだらんお友達ごっこに巻き込むな!」

 とか叫びながらも海馬君はまたシャーペンを滑らせ始めた。するすると埋まっていく解答欄。あっという間に一枚片付いた。

「てか、テメーこれ全部提出物かよ? 終わんねーだろ。あと30分で学校閉まるぜ?」
「凡骨と一緒にするな。期限は明後日だ、ただ課題を持ち越すのが嫌なだけだ。ギリギリになってもやらない奴らとは違ってな!」
「んだとゴルァやるかァ?!」
「城之内君落ち着いて! えっと、じゃあ済んでるぶんだけでも僕が出してくるよ! 三枚でいい?」
「結構だ、貴様らはさっさと帰れ、目障りだ!」
「文理のやつと、古典と、これ?」
「あぁ?! 遊戯なんでこんなやつの」
「遊戯貴様勝手な真似を!」
「じ、じゃあ行こう城之内君っ」

 逃げるようにして教室を飛び出すと、誰もいない暗い廊下に海馬君の「遊戯!!」が響き渡った。





 先生に小言をもらいながら教室に戻る道すがら、すっかり日が落ちた学校の静けさになんだか嬉しくなって、城之内君と競争しながら走り回った。
 いつも授業が終わったらすぐ家かどこかに集まってみんなでゲームしてたから、こんなに暗くなるまで残っていたことはなかった。しんとした教室はいつもとは違う顔で、置きっぱなしの辞書やなんかがつんとして僕らを見ている気がした。僕は……何だか胸がきゅっとして、ちょっとだけ、アテムのことを思い出した。たぶん城之内君も。

「なあ、あいつ知ってんのか」
「……たぶん。何も言わないけど、あのときエジプト来てたみたいだよ」
「そっか」

 僕は海馬君がどれだけアテムと闘いたかったか知っている。だけど、海馬君が聞こうとするまでは僕と彼の勝敗の話はしないと決めていた。アテムがそう言ったんだ。
 ――海馬を待ってみてくれ、相棒。きっとヤツはまた強くなる。
 彼が海馬君について話したのはそれきりだったけれど、確かにアテムは海馬君をライバルとして認めていた。僕は最後までそれが羨ましかった。
 ライバルは無理かもしれないけど、せめて僕は海馬君と友達になりたいと思った。
 僕らは海馬君の硬いところは知っている。モクバ君経由で柔らかいところもすこしだけ知ることができた。そういう海馬君が僕はけっこうキライじゃない。それが彼の強さだと思うからだ。
 海馬君の強いところ、負けないところ、立ち上がるところは、ずっとずっと昔から尊敬していた。ひとりの決闘者として、ううん、それ以前にひとりの人として。
 カードを持つときの海馬君も、ワハハ笑いで見下す海馬君も、黙って問題を解く海馬君も、数学を教えてくれる海馬君も、僕は、キライじゃない。
 (例外的に、うつろな顔でぴくりともしない海馬君はスキになれない。あんなのは、もう二度となくていいんだ)
 もっといろんな海馬君を見たら、もっと彼のことが好きになれる、そんな気がするんだ。城之内だってきっと。
 もうひとりの僕が海馬君をライバルとして認めたように。





 僕らのクラスに戻ると、海馬君はまだプリントをこなしていた。ちらりと青い目がこちらを見て、すぐに紙面に戻る。

「大変だね」

 海馬君は答えない。
 城之内君と僕は肩をすくめて、彼の前の座席に腰を下ろした。
 次々片付けられていくプリントたちは、お手本みたいな字と解答に埋め尽くされていた。カラカラ帝、帝政ローマ、陶片政治、デマゴーゴス。
 今度はいくら見ても海馬君は怒らなかった。最後の空白を埋めると僕らをねめつけてから、シャーペンをペンケースに入れてプリントをファイルに挟んでロッカーに入れる。海馬君は引き出しを使わないんだ。几帳面なところがとてもらしいと思う。
 そのまま戻ってくると無言でジュラルミンケースを持ってパンパン、と制服を払うと、踵を返した。

「えっ、帰っちゃうの!?」
「当然だろう。お守りが終わって清々したわ」
「せっかく待ってやったのによ!」
「誰が待てと言った」
「い、いや、あのね海馬君、よかったらこのあと」
「ええい、お友達ごっこはよせと言っている……!」
「ちげーよ! デューエールだ、デュ・エ・ル!」
「……フン、それならそうと言え。犬はそこで黙って骨でもしゃぶっていろ。遊戯、デッキを出せ」
「え、えぇ〜僕海馬くん用の調整なんかしてないよ!」
「ワハハハ、調整なぞ俺の青眼の前では貴様らのお勉強より無意味! 臆したか遊戯ィ!」
「そ、そんなんじゃないけど」

 いきなりテンションが上がって、海馬君ってわかりやすいんだかなんなんだか……と思いながら、誰かの机にとん、と置かれたデッキと彼の顔を交互に見た。
 珍しくふい、と強すぎる青い目がそれた。アレッ、と思って首を傾げると、彼の指先がデッキをめくる。

「俺も“貴様”の手は知らん」
「……か、かいばく」

 わかったらさっさと準備しろ! と怒鳴られて、僕はまた裏返った声で返事を返した。

 ほら、彼はこんなにもまっすぐだ。
 いつかきっと海馬君は僕に、アテムのことを聞くだろう。そのとき僕は胸を張って言うんだ、「僕は彼に勝ったんだ」って。
 そうしたら海馬君はアテムにそうだったみたいに、僕のことをライバルだと認めてくれるかもしれないでしょう?

 ……数分後、施錠時刻になって先生に追い出されたのは僕のせいじゃないよ、海馬君。だから怒らないで欲しいぜー……。










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 社長かわいいよぉおおおかっこいいよぉおおおお