咲かぬ花、されど枯れぬ花





 ジョナサン・ジョースターは、エリナ・ジョースターを愛していた。それは深く正しく、互いを尊敬しあいながら彼らは愛し合っていた。
 そしてこの冷えた棺の中で考えてみると、ジョナサンはディオ・ブランドーをも愛していたように思う。
 前者は燃えるような恋愛であった。ただ後者はというと、これがよくわからない。
 友愛でもなく、家族愛でもあるはずがない。ディオのしたことを思うと臓腑が煮えくり返るような感覚を覚えるし、殺された父や友のことを考えれば怒りを抑えることに苦心しなければならない。彼には同情すら許せなかった。

 だがたった今、深い海の底の底に沈みながらジョナサンの首を抱き、寝てはいないのだろうがときおり目を開いて、思っていたよりずっとやさしい手つきでそれを抱きなおすのを見ると、ジョナサンはただ彼の首筋を、血を流し続けるその傷跡を拭ってやりたくなるのだ。





 ぼくは彼の様子をどこか第三者的な視点で見つめていた。だから彼が小さく丸まってこの箱舟たる棺におさまっているのもわかったし、ぼくの首を抱きしめたままだということも見て取れた。そして彼はぼくのからだを奪っていた。首から上と下で、暗闇でもわかるほど皮膚の色や質感にひどい違和感があり、だからこそぼくはこの場所にいるのだなとなんとなく理解した。ただ、グロテスクだ。
 彼はぼくの意識の存在にすら気がついていないようだった。声をかけても聞こえないようで、仕方がないからぼくはエリナのことを考え続けた。
 彼女の笑顔や声や髪、やわらかい肌や白い耳朶、やさしいライトグリーンの瞳のことなんかを考えた。ぼくが見た彼女の最後の姿は、ヴィクトリア女王に倣ってぼく自身が仕立て屋に言ってプレゼントしたドレスに身を包んだ、ほんとうに美しい「エリナ・ジョースター」という女性だった。エリナのしあわせのことをぼくは思う、彼女はしあわせにならなければならない。
 やがて、この音も光もなにもない闇の中で、ディオが何を考えているのかが気になった。狭い箱の中で、憎い宿敵(のようなものだろう)の首を抱えて、たったひとりで彼はなにを考えているのだろう? 家族のことか、それとも過去のこと? しかし彼はいっぺんの妥協もゆるさずひとりだ。
 目を閉じてディオは眠るように、あるいは死んでいるように体を丸めている。身動きも呼吸もない、ぼんやりと白く光っているような首筋にじわりと血が浮かんでさながら首輪のようだ。一度父さんに連れられて行った館に山と飾られていた、趣味の悪い恐ろしい蝋人形のようだった。ばさりと音のしそうな濃い睫に隠された色はかつて真っ青で、ぼくはその快晴の目の色みが好きだった。どろりと悪意に濁ってさえ美しかったそれは、いまや血のように赤いピジョン・ブラッドで、彼にそぐいすぎて気味の悪いものに成り果てている。職人が作品のために幾万もの石から選び取ったような、そんな赤。つくりものじみていてかえってすわりが悪い。
 義弟の――今このときでさえジョナサンはディオをきょうだいと呼ぶ――美しさというものは、「不安定さ」によるところが大きいとぼくは知った。とがりすぎたナイフのような美しい容貌に隠された、どろどろの腐肉のような醜く破綻した精神。そろっていないジグソーのように違和感を覚えさせたそれらは、いまになってみれば、ある意味でディオは人でなくなってこそ完成したのだということを思わせた。どこか不揃いで滑稽にさえ見えるその美醜の差は、彼がまだ人であったからこそ健全な不安定さを演出していたのだ。たぶんぼくは彼のそのアンバランスなところを愛していたのだろう。
 しかし今の彼にそれはない。ただただディオはうつくしい造られたもののように眠り、死に、そして生きている。
 ひとであったみぎり、彼は若く美しくありながら、終末の予感を常に背負っていた。
 ぼくは、それがすこし悲しかった。





 ある晩ぼくはディオがとても美しいと知った。
 彼は朝からどこかぼうっとしていて、体調不良を理由に晩餐にも顔を出さず、食事を運んだ侍女をささいなことで怒鳴り、結局ひとくちも手をつけなかった。たぶんそれは彼がジョースター家に来て三度目の冬だった。
 ディオの部屋の前で口々に心配の言葉を述べる人々に、彼は何も答えなかった。父さんはいなかった。いたらそんな騒ぎにはならなかったんだろう。
 秀才で聞き分けのいいディオがこんなふうになったことはそれまでに例がなかったから、屋敷中の人間がこぞって彼を呼んだが、ぼくは彼はそんなやさしさなんかいらないのだろうなとなんとなく思った。だから「ぼくがいくよ」と彼らを説得してそれぞれの持ち場に返すと、ノックをして義弟を呼んだ。

「ディオ、ぼくだよ。入ってもいいかな」
「……」

 予想通り答えはなった。免罪のようにもう一度、入るよ、と断ってドアノブに手をかける。
 ひょっとして内側から鍵がかかっているかも、と思ったが、冷たいドアノブはごく普通にガチャリと回った。
 部屋は一瞬たじろぐほど寒かった。窓には雪の影すらあるというのに暖炉に火はなく、ほとんど外気と温度は変わらないだろう。吐く息さえ白く、ぼくは侍女に手渡された毛足の長い毛布を知らないうちに握り締めていた。

「ディオ」

 暗い部屋はやわらかい月明かりでどうにか照らされていた。
 ランプの点いていない部屋はよく片付いていて、いくらなんでも生活感が無さすぎて居心地が悪い。部屋の主に似て、一見してみればきれいなのだが、どこかとっつきにくい。かと思えば机の上には革の栞が挟まれた分厚い専門書がいくつか積み上げられていて、そこだけ乱雑に荒れていた。

「風邪を引くよ」
「うるせえ。こっちに来るな」

 最初ぼくはそのぼそぼそとした声が彼の言葉だとはわからなかった。後ろに詰まったような聞きなれない発音はいつもの完璧なクイーンズ・イングリッシュとは異なっていた。
 今なら少しわかる、ロンドンの貧民層のコックニー訛りがそれだ。ぼくはとまどいながら、それでも彼の拒絶を理解した。
 ディオは絨毯にひざをつきベッドに突っ伏して、ぴくりともせずにぼくに背を向けていた。
 最初は泣いているのかと思った。でも彼は本当に静かにただ顔を伏せているだけだった。ぼくはそんな彼の姿を見たことがなかった、はじめのころの冷たすぎる態度とも、今のできた義弟とも違う他の「ディオ」がそこにはいた。
 わずかな光にさえきらきらと反射する金髪は、ひとすじだけでも目にまぶしい。目を眇めながら、ベッドに近寄る。
 以前は気の毒なほど痩せていた手足は確かに伸びていたが、血色はあまりよくない。それに昼間と同じシャツだけではこの気温は寒いだろう。

「ねえ、ディオ、みんな心配しているんだよ、きみを」

 ぴくりと彼のシーツを握ったてのひらに力が篭ったのがわかった。

「――おまえは」

 ディオがゆっくりと顔を上げた。床に膝をついたまま、乱れた髪のままで彼はこっちを、見たことも無いような暗い瞳で、射抜いた。
 空色のとてもきれいな明るい目なのに、既に一日が終わってしまったかのように真っ暗だ。ぼくはひとつたじろいだ。

「おまえは知らない」

 金色の睫が伏せられ、彼は詩の一篇を読むように言った。
 ぼくは彼の幽霊のような顔が無表情にそう紡ぐのをただ黙って聞いていた。だが続きはなかった。
 きみはなにを知っているんだい、ディオ。ぼくの知らぬなにごとを?
 寒い寒い部屋の中で彼は何を見るでもなく、その白い肌はまるで石のように頑なだ。彼は近寄ってはいけないひどくもろい彫像の有様でそこに座っていて、そこまで思ってぼくはひどく自分に腹が立った。ディオをもの扱いするなんて、最低だぼくは。人でないなんて。
 彼は立ち入られるべきでない領域のことをすこしだけちらつかせて、そしてすぐに門を閉じてしまった。そこだけ本当に色のない指先がふと、力を失い、彼の軽い体重を支えるためにベッドに置かれた。
 立つ、というただそれだけの動作すべてが、ディオが今どれだけ空虚かを示している。いつもの完璧なやわらかな優美さはなく、ああ彼はやはり痩せているのだとぼくに自覚させる。

「……ディオ、」

 ぼくは彼に声をかけた。その瞬間、彼は瞬く間もなく、大輪の美しい花が開くように微笑んだ。時間をかけられてしかるべきほどの見事な笑みを一瞬でだ。
 あの洞穴のような空虚は見る影も無かった。ディオは滑らかに言った。

「ありがとうジョナサン。そうだね、この部屋はとても寒い、このままでは僕はともかく君こそ風邪を引く、そんなことになったら僕が卿に怒られてしまうよ。すぐにここから出て、暖かい暖炉の前に行かなければ、ジョナサン、君はここで凍えていてはいけないよ」

 淀みの無い口調で、彼は早口に告げてこちらに歩いてきた。ぼくはため息のようにああ、と頷いて、冷たい部屋から出ようと扉に足を向ける。
 当然ついてくるものだと思っていたディオはぴたりと足を止めた。

「ディオ、きみも早くおいでよ、広間はとても暖かいよ」
「僕はいいよ」

 後で行くから。
 微笑んだディオはひどく機嫌がよさそうだった。
 その微笑みは壮絶に美しかった。ぼくにとって美とはなんぞやといわれれば、彼のあの一瞬の顔だと答えるだろう。それほどまでに、ディオは美しく微笑んでいた。

 そして結局、彼は広間には現れなかった。彼を見たのは次の日の朝、昨夜のことなど忘れたように、いつもどおりのディオがそこにいた。





「ねえディオ」

 じくじくと血のこぼれる首筋は猟奇的でさえあるのに、まったく痛ましさを感じないぼくの心はどうなってしまったんだろうね、ディオ。
 彼にはぼくの声が聞こえていないようだから、答えの無いのはわかっていた。ぼくはかまわず語る。

「きみは花に生まれればよかったのになぁ」

 美しくあればそれだけで愛されるような、可憐な花に生まれついていれば。
 ひとでなくなった彼にはむしろそのほうが幸せだった、とさえ今のぼくには言える。
 枯れることさえなく永遠に美しい花。それはどれだけ世に愛されるだろう?

 ――おまえは知らない。

 そうかもしれないね、ディオ。結局ぼくは何も知らない世間知らずのままだ。
 ただひとつ願うなら――ぼくはあの日のきみに問いたい。恥を、そしてきみへの侮辱を承知で、ぼくはきみに問いたい。
 きみの知ることとは何だい、ディオ。
 その答えをぼくは知りたい。



 彼は海の中に沈む美しい怪物に語りかけ続けた。
 憎悪と憐憫にまみれた感情がいつか彼に幾万もの茨の棘となって届けばいい、と彼はひたすらに。
 ただひたすらに、ジョナサン・ジョースターは、ディオ・ブランドーをも愛していたように思うのだ。











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 このふたりの雰囲気たまらんね