キネマの怪獣 後





 満点の星が瞬いている。
 夜空だ。ぼくは空に浮かんでいた。今夜の夢だとぼくは理解する。
 あのとき、ぼくは甲板でパレット・ガンの発射のタイミングを測っていた。目隠しをして遠くを見ていた。だから星なんか見ていないはずだ。星を見たのはぼくではない。戦闘機に乗っていた、“彼”のほうだ。
 戦闘機から見るアンカーは海にぽつんと浮かんだ灯台のようだった。彼はそれを悪そのものだと認識した。彼にはもうミサイルがない。まっすぐに、灯りに飛び込む蛾のように高度を下げていく。どうせなら星のほうに飛び込めばよかったのに。
 ぼくはパレットを発射する。戦闘機が見えたからだ。アンカーから見ると戦闘機は暗闇に溶け込んでしまっていた。火薬のにおい。ぬるい潮風。風を切る音。ついさっきのことだ、手に取るように感じられた。彼の言葉すら一言一句覚えている。

 ――お前に何がわかる
 ――死など怖くない
 ――いざ行かん、神の国へ

 やがて、皮膚が焼かれる。
 狭くて騒がしくてひどく揺れる狭い箱のなかで、ぼくは燃やされる。なんてできの悪い棺だろうか、うんざりする。いくら夢とはいえ、一日のうち二度も生きたまま焼かれるなんて。
 おれは天の雷だ、と彼が言った。ああ、そうだったのか。彼は痛みなど感じなかったのだ。信仰は彼から苦痛を取り除く手段だった。ぼくの薬と似たような。違うのはそこに正義があるか否か。空中でバラバラになるか、こうして覚めない夢を見続けるか。
 きみはいいなあ、信じるものがあって。行くべきところがあって。
 ぼくには何もない。たくさんの人に出会って、いろいろなことをしたのに、ぼくは何にも変わらなかった。
 何もないんだ。





 次に目を覚ましたのは、ぴったり6時間あとだった。
 全身で汗をかいてはいたけれど、それでも一応体力の回復はできたようだった。いつの間にか部屋の明かりは消されていた。パーティションで区切られた簡易ベッドの上で身を起こすと、誰かがかけてくれたらしいぼくのジャケットがばさりと落ちる。
 口の中はからからに乾いて、皮膚がどこかひりついた感じがした。記憶と夢とがごちゃ混ぜになってはっきりしない。薬による眠りに付き物のだるさも合わさって、あまり良い気分ではないが、仕方がないだろう。
 目が暗闇に慣れて視界がひらける。すこし早いが誰か起きているだろうか。サヒブがいたら事情を確かめて、状況を整理しないと。新入り……ジェイクだったか、時間があれば彼にはいちから説明しておいたほうがいいかな。よく事情を飲み込めていないようだったから。

「おい、ロック。起きたか」
「……ああ、たった今……」

 大佐だ。彼はカーテン越しにぼくに簡潔に連絡ごとを告げる。何度言っても入り口の禁煙ポスターに気がつかないらしい、きつい煙のにおいがする。ぼくはすこし笑って、もう行くよ、と彼の発言を遮った。

「みんな集まってるのか?」
「ああ。ちょっとしたゴタゴタがあってな……本当に大丈夫か?」
「大丈夫。休めたよ」
「……そうか」

 たぶん彼は気がついているけれど、あえて黙ってくれた。そう、それでいい。何を言っても無駄だと諦められているような気もするが。
 軽く伸びをして立ち上がると、ちょうど大佐が灯りをつけたところだった。カーテンを開けて礼を言うと、軽く肩を竦めて返された。

「そうだ。きみは映画には詳しい?」
「映画? いや、特には」
「そう。どうしても思い出せないタイトルがあるんだけど……子ども向けの古い特撮で」

 眩しさに目をすがめながらそんな話をする。時代遅れの怪獣映画なんて知らなくて当然だ。
 大佐はサングラスの奥で怪訝そうな目をしたが、やがて、サヒブに聞いたらどうだと言った。

「……サヒブ」
「何だ、鳩が豆鉄砲食らったような顔して」
「いや……彼は映画に詳しいのか?」
「知らなかったのか。あいつ昔のモンスター映画とか無茶苦茶好きだぞ。ブログもやってるし、もしかしたらDVDもあるかもな」
「……へえ。それは……助かる」

 そうか、そういうこともあるのか。妙に感心して、ぼくはバカみたいに頷いた。本当に、まったく、ぜんぜん思い当たらなかった。それなりに長いつきあいなのに。

「なんというか……ロック、おまえはもうすこしな……」
「ん?」
「……いや。待っててやるからちょっとシャワーでも浴びて来い、寝癖ついてるぞ」

 瞬いたぼくに、冗談だ、と言いおいて、大佐はさっさと行ってしまった。何が冗談なんだろう。彼はときどきこういう、何か一枚挟まったような物言いをする。
 首を傾げながら、ぼくはお言葉に甘えてシャワーを使うことにした。すっきり目が覚めれば気分も自然と向上するというものだ。
 そうだ、サヒブがもし映画のことを知っていれば、レンタルしてみようかな。つまらなそうなドラマや必ずハッピー・エンドと決まっているミュージカル、そんなのでもいい。幕が下りれば、カットが変われば、さっき出会ったばかりの男女が次の瞬間には深い仲になっている。約束を交わした次の瞬間には果たされ、仇を討ったらそれでおしまい。めでたし、めでたし。その後の道はない。
 あの映画のなかの化け物は人間に戻れず死んでしまった、それは確かに悲劇だろう。けれどもぼくが化け物なのはマッド・サイエンティストのせいではないし、毛皮や爪は可視化されていないし、誰も殺しに来てはくれない。だったら、生きているしかない。それでも、いいんじゃないか。
 生きている。ぼくは死人じゃない。それだけで、もういいんだ。きっと。
 自由の、愛の、喜びのために死ぬことができないなら、そのために生きることができない道理も通っていいはずだ。ぼくは、死んでいないし死にたくない。だから生きている。それだけで充分だ。
 正直に言って先のことを考えれば不安になるが、そんなのは誰だって一緒だろう。ぼくの場合はほんのすこし事情が違うが、それでも他の退役軍人に比べたら恵まれているほうだと思う。助けてくれる友人もいるし、仕事もある。幸いに飢えて死ぬようなことは絶対になさそうだ。
 見えない毛皮と爪がある限り、ぼくは不格好に生き続ける。それなりに自分を誤魔化し、見えてはいけないもの、聞こえてはいけないものから逃げて、人間のふりをして笑いながら。悲劇という落ちも付かない、出来の悪いスプラッタ。しかもオカルティックで、子どもだって騙されてくれないチャチな筋書き。派手なCGシーンもない。
 でも、どこかの誰かは知っていて、覚えていてくれる。それだけでもう満足だ、と思う。だって生きているのだから。
 そしてぼくは部屋を出る。救護室の電気を消すと、廊下のわずかな灯りだけが残る。さっきまで自分がいた場所を一瞥して、ドアを閉める。
 暗転。










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冬の虹のちょっとぼんやり&鬱々したロックさんも可愛いです。