キネマの怪獣 中





 ぼくの能力はふたつ、らしい。よく考えて使ったことがないから、それが正しいのかどうかわからない。軍の研究員がぼくに教えてくれたのは、「ものを見る」ことと「心の声を聞く」こと。それらが実戦でどのくらいの距離に適用できて、どのくらいの人数が把握できるか。そんな程度のことだ。
 戦場においては、ぼくはそこそこ優秀で脆弱なレーダーだった。
 はじめはちいさなテロリスト相手の小競り合いの現場で、死にゆく意識に触れて気絶した。二回目は慣れたが、今度は自分が撃ち殺した相手の痛みを追体験してしまった。殺し損ねた時なんかもっとひどくて、雑菌が入って発熱しているのと同じ痛みに苛まれて何度も吐いた。そのころになると吐き慣れしはじめて、まわりも卒倒に備えるようになっていた。フラッシュ・バックによって戦場でもないのに突然前触れもなく嘔吐してしまったこともある。それでも棄てられなかったのは、ぼくの「耳」が彼らに必要だったからだ。
 敵が何人いるか、はまだいい。何人殺し損ねたか、を勘定するのがいちばん難しかった。うっかり「死んでいっている」ところにつながれば、負傷していなくても担架行きになってしまう。
 それでおかしくならないほうがどうかしている、と担当医には言われたが、たぶんぼくはとうにおかしくなっていただけだと思う。診断書は体重や身長などと同じただのデータで、ぼくに休暇を与えてくれるものではなかった。
 かつての戦友の多くは何度も戦場に赴くにつれて、すこしずつ壊れて行った。睡眠を目的としたものではない薬に頼りだし目の光が濁って、ああ、まずいな、と思ったころにはもう帰って来なくなる。何人もそうだった。ぼくには彼らの心もよく見えたけれど、引きずられないようにするので精一杯だった。常にそれらを見ていると彼らの苦痛があまりに強くて、ぼく自身の痛みとしてあらわれてしまう。そうならないためには、気にしないふりをすることだ。
 ほかにどうしようがあるだろう? ひとの死に慣れるにつれぼくは死体以外を「聞く」ことをしなくなった。もともと生きているひとの「声ならざる声」など、聞こえて得するものじゃない。



 こんなこともあった。
 無線を使って別動隊の『スキャナー』と連絡を取り合い、お互いにレーダーとして働いていたときのことだ。テロリストが民間人を数名人質にし、引き替えに国家に正義を求めた。ぼくらは生命を守れと言われた。
 だいぶ年上らしい彼はコード・ブラヴォー、ぼくはチャーリー。役割は後方支援部隊だ。ブラヴォーの見たものを口頭と「耳」で受け、能力を最大限に使って情報を集積する。お互いの名前も顔も知らない、『スキャナー』同士の交流を軍は好まない。
 重たい無線機がブラヴォー・チームの報告を無理に引き延ばしたような汚い音声でなぞる、ぼくはそれを書き留めながら、ブラヴォーからの“意識”による報告をマイクに向かってしゃべる。耳に押し当てたヘッドフォンのクッションに汗がにじんでいたが、それ以上に向こうから伝わってくる報告のほうが何だか気持ち悪かった。事務的なそれよりもブラヴォーの所感が多くて、ぼくは何度も「必要なことだけ伝えろ」と言ったが、彼は聞き入れなかった。思い出話を始めたときには、よほど「接続」を切ってやろうかと思った。
 そんな状況のなか、ぷつん、と何か細い物をちぎるような音がした。突然ぐにゃぐにゃに世界が溶け、ぼくの視覚はなんの予備動作もないまま強引にブラヴォーのそれと置き換わった。
 それが「力」によるものと知れたのはすこし経ってからのことで、ぎょっとしているぼくを後目に、視界だけが勝手に動いていった。硝煙のにおい、ぼく(彼)は生存者を探している、視界が揺れ、積み上げられた瓦礫と椅子、先を行くチームの背中、炎、熱い、生存者はどこだ、インカムの調子はよくない、オーライ、講堂に入る、空気が悪い、オーバー、ドアを叩く、ぼくの意志じゃない、体が勝手に動くような感じ、夢を見ているような浮遊感と、リアルな体温。
 ぼく(彼)は考えている。故郷のこと、この仕事が終わったらダウンタウンでブロンドの誰それを買おうとか、途中までしか見終わっていないドラマのこと、まずい、早く任務に戻らないと、その前の定期検診、兵舎はほかの兵とは別で、何なんだこれは、狭いベッドで眠った、おれだけだ、仕事が終わったらあそこへ行こう、四六時中監視されているんだ、まるで飼われているみたいじゃないか、チャーリー、聞いてくれ、おれは軍を辞めたい。
 ――いつのまにかブラヴォーはぼくに話しかけていた。ぼくの目と意識を引き込んだのは彼の意志によるものだったのだ。おれはずっとおまえと話したいと思っていた、でも軍はそれだって許しちゃくれなかったな。どうだチャーリー、あいつらがおれたちに何をした?
 ぼくは叫ぶ、こんなのは会話なんかじゃない!
 一方的に吐きかけられる軍への怨みとこれまでの扱い、これからのこと、差別、区別。嫌だ、聞きたくない。あんたのことなんて背負いたくないんだ、やめてくれ。でも彼はやめない、マシンガンを構え警戒しながら歩を進めつつ、彼はぼくに、ぼくは彼に叫ぶ。やめろ、聞いてくれ、嫌だ、聞け。
 この作戦だってそうだ、やつらおれたちのことをモルモットか何かだと思っていやがるんだ、さっき「見た」だろうかわいい女がおれを待ってる、おれのことを知ってるんだ彼女、受け入れてくれるんだチャーリー。嫌だ聞きたくないはやくぼくを解放してくれ。おれはもう人殺しは嫌だ。自由になるんだ。おまえだって。
 頼むからぼくを巻き込まないでくれ。
 聞きたくもない浮き足だった声ばかりが響いてぼくのことばは彼には届かない。ブラヴォーは駄目だ、彼はもう、ここが見えていないんだ。
 ぼくは必死に任務に集中しろ、と声をあげるのに、彼は駄目だった。どうしてだろう、肝心なときに届かない。ぼくは彼とは違うんだって、そんな簡単なことが彼にはわからない。
 彼を含めて3人がかりで蹴破ったドアは土埃を舞いあげながら倒れた。何人もの気配がしていたのはここだ、とブラヴォーが今度は肉声で言う。
 違うんだ、ここにいるのは、ブラヴォー、普段なら気がついただろうに、きっときみだってわかっただろう。もしかしてきみは、知っていたのか?
 ぼく(彼)が見たのは――



 彼は背後から撃たれた。
 たぶん散弾銃だった。
 脳の底から焼け付くような熱と痛みにぼくは絶叫し、嘔吐し、気絶した。



 それから、ビシャ、と頭に水がかけられて目が覚めた。天井から下がったライト、ここはテントのなかだ、どのテントかまではわからないがともかくあそこではない、ぼくは右手に何かを握っているがそれは銃じゃない。ぼくは生きている。
 頬を何度か叩かれ、喋れるか、と聞かれた。軍帽が見えた時点で答えはどちらでも同じなので肩肘をついて身を起こすと、イエス・サー、と答えた。
 ぼくに水をかけたのは参謀官だった。スキャナーの対テロ部隊への投入を進言したひとだ。そのままで報告しろ、と彼は言った。立ったらまた吐きそうだったので助かった。
 サー、作戦は失敗です。ブラヴォーはポイントにたどり着きましたが背後から撃たれ、グレネードか何かで、焼き殺されました。チームは全滅、人質も銃殺されており、生存者はいないものと思われます。敵は10数名、全員武装しています。……以上。
 参謀官はしばらく考えごとをするように顎を擦ったが、やがてぼくを、小さな子どもが動物園では虫類を眺めるみたいな、興味深さとわずかな恐れを隠さない目でじっと見た。
 ……成功だ、ロック。君の報告は3時間前のものと何ひとつ違わない。大成功だよ。おめでとう。
 ぼくは握り締めたままだったヘッドフォンを見下ろした。
 おめでとう。





 死人とそうでない人と、どちらの痛みがつらいかと問われると、答えることができないだろう。ぼくはそのどちらにも何もできないから。死と生は確かに異なった種類のものだけれど、どちらにしてもぼくにとって、特にぼくの苦痛にとっては同じ話だ。それだったら、すぐに終わる、終わってしまったもののほうがいい。防衛本能で意識が途切れてしまえばもっといい。
 そんなふうに考えていたころ、上官に言われた。お前が守るのは死人じゃない。お前だって生きているんだろう、『スキャナー』。いくら化け物だって、俺たちと同じだろう、生きていたいだろう。そうだと言ってくれ。

 ぼくには、よくわからなかった。

 どうやって、何のために生きるのが正解で、何と戦えばいいのか。
 ぼくは神を信じていなかったし、国家のために働くには死にすぎたし、自分のためにひとを殺すほどの価値を見出すこともできなかった。守るべき家族もいない。それでもぼくは殺すし、死体に入り込むし、命をキル・マークで数えるし、誰よりもよく見える目で敵のこめかみや眉間や足や心臓や延髄、つまり命を狙う。それ以外の仕事は選択肢から除外されていったし、そうしなければ死んでしまうから。なぜ死んではいけないのだろう。もう何度も死んでいるじゃないか。それほどまでに生きていたいと思ったことがいままでに一度でもあっただろうか。
 いつもブラヴォーを思い出す。名も知らないまま死んでしまった、数すくない化け物の仲間。彼は死にたくなかった。家族がいて恋人がいて、軍を退役してまで自分の愛するひとを守ろうとした。ぼくはあのとき彼と一緒に死んだけれど、彼の残骸だけが家に帰り、ぼくは五体満足でまだここにいる。
 要するに、どうやらぼくはまだ死にたくはないらしいのだ。そうでなければいつだって彼みたいに、背後から撃たれた後爆発に巻き込まれてこの世から消えている。
 他人を殺してまで生き長らえるような命じゃないとも思う、けれど死ぬのは嫌だ。そもそも生きるということに、そんな大層な意味はない。ひとの命を絶つことに大層な意味がないように、ひとつ戦場を生き残ったとしてもファンファーレを誰も鳴らしてくれない。
 ここでこうして銃をとって誰かを殺し誰かが殺されるために「力」があるなら、『スキャナー』はまさしく化け物だ。もし人間ならそんなことができるはずがない。そんな人間が、いていいはずがない。
 化け物は駆除されなければならないのだ、人間に害をなすならば。
 今日はずっと昔のことばかり思い出す――もしかしたらもう夢のなかにいるのかも。ああ、あの映画の名前は何と言ったろう。ネットで探したらわかるかもしれないな。次の休みに入ったらレンタルしてみよう。それとも、ブラヴォーが気にしていたあのドラマでも見てみようか。男女が惚れた腫れたの、やたら冗長なつまらないラブ・コメディ。それもいいかもしれない。過去のことを思い出すことさえなければいいのだ。
 瞼に焼き付いた映像には古ぼけたフィルム映画のようにところどころ裂けや塵が入っていて、自分の輪郭が白くぼやけ、意識だけが彼方の昼に向かっていく。知りもしないのにどこかを探して。思い出なんてそんなものだ。
 ぼくはずっと、手に入らないからむずがって欲しがっている。いつも同じ後悔の繰り返し。
 いつからか、それでもいい、と思った。
 楽しい夢が見られなくても、今日のあとに来る明日がすばらしいものだという保証がなくても、ぼくが化け物であっても、どうでもいい。
 だんだん、暗い穴に転がり落ちるように身体がだるくなる。周囲の気配はとうの昔に感じなくなっていた。夢だ、これは夢。また嫌な夢を見ている。
 暗転、暗闇。どこかでメガホンが唸る。映画の撮影風景なんて見たこともないのに、ぼくは自分が出来の悪いセットのなかに取り残されたと感じる。どこからともなくライトが光を放ち、「カット!」、そんな声が聞こえた気がした。気がした、だけかもしれないが。










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