キネマの怪獣 前





「ゆっくり休めよ、ロック」
「そうさせてもらうよ。ありがとう」

 マッケイ大佐が去ったあとの救護室で、清潔なシーツと堅いスプリングに身を沈め、ぼくは薬が効くのを待っていた。睡眠導入剤、要するに抗不安薬だ。PTSDの診断結果をもみ消す代償として処方されたもので、デパスだかエチゾラムだか、実はよく知らない。軍医からはあまり飲み過ぎないように、と言われてはいるものの、1錠や2錠では効きが薄いんだからしょうがない(ということにしておく)。
 悪い夢を見るのは慣れっこで、向精神剤とのつき合いは古くほんの小さな頃から飲んでいたが、かわりにいい夢にお目にかかった覚えがなかった。軍には不眠に悩まされる仲間はすくなくなかったし、請えばすぐに安定剤が貰えたが、ひとつ残らず副作用に「依存症」やら「悪夢」やら書かれている代物だったので、短期睡眠で身体の疲労を解消するためだけに使った。いまの薬はだいぶましだ。
 さっき服薬してしまったから6時間は使いモノにならないと一応申告したが、眠れるかどうか。精神病院行きが笑い話でなくなって来たなあ、と天井を見上げながら思う。蛍光灯の灯りで瞼がひりついたように感じ、目を閉じるとふいに頭の片隅にオーディオセットと古いテレビがぽんと浮かんできて、あれ、と思った。そしてすぐに、子どものころに見た古いSFX映画のことを思い出した。



 孤児院に一台しかないDVDデッキは取り出し口が故障しかけていて三回に一度はDVDを取り出せなくなるようなしろものだったし、いつでも自由に使えるわけではなかった。院にはほかに寄贈品のノートPCもあったが子どもの数にはとても間に合わない台数で、ほとんど触った覚えがない。さらに言えば、ぼくはおそらくほかの子たちと比べるとそうしたものに興味が薄く、たまのクリスマスや復活祭で安い映画を流しっぱなしにしているのを斜め見していただけだった。
 それでも、とある映画だけは切れ切れにストーリーは覚えていた。毎年毎年同じものをやっていたから。
 タイトルも思い出せないけれど、その映画は毛むくじゃらの化け物の着ぐるみが街で大暴れし、住民や警官、軍隊、都市をめちゃくちゃにしてしまうところから始まる。しかしある日傷を負ったところを人間の少女に助けられ、「良心の呵責」を覚え始める。実は化け物はもともと人間で、ある科学者のせいで姿が変わってしまったのだ。自我が戻るにつれて彼は人間に戻ろうとするが、あえなく死んでしまう。
 全体的にチープで、埃っぽく、古くさい画面だったものだから、初めて見たときはホラー映画だと思った。シナリオはあまりにも救いがなさすぎるし、見所といったら冒頭の戦闘シーンくらいだ。それも一度ラストシーンまで見てしまうと、化け物が哀れで気が滅入る。
 それでも娯楽のすくない子どもたちは大喜びして、何人ぶんもの後頭部が映画のなかで爆発が起こったり主題歌が流れたりするたびに大きく揺れ、歓声が上がっていた。

 たぶん、ぼくにはそのころから既に「力」があったのだろう。みんなが興奮すればするほどその思念が押し寄せてきて、頭のなかでがんがん響くのだ。『もっとやれ』だとか『ばけものめ!』だとかそんなものだけれど、力の使い方をよく知らないぼくには防ぎ方もわからず、頭痛をこらえながら壁にもたれてぼうっとしていた。やりすごしていればいつのまにか聞こえなくなる程度のことだったし、ぼくはこの現象を説明する言葉を持っていなかったから。自分の「頭」に聞こえる声が何なのかもよくわかっていなかったのだ。それに、結果的に誰に伝えていたとしても解決はしなかっただろう。

『はやくそいつをころしちゃえ』

 さすがにその声が聞こえてきたときは、耐えきれずに吐いてしまったけれど。
 そんなわけで、この陰鬱でチープな映画の印象は強く残っている。化け物は駆除されなければならないのだ、人間に害をなすならば。





 プライマリー・スクールを卒業するころになると、ひとが多いところに行くと必ず気分が悪くなった。原因はもちろん「声」だ。たぶん一番ひどかった時期だと思う。
 一度はあまりにふさぎこんで外に出ないものだから院長に心配され、カウンセラーをつけられた。当然少人数で話すのには何の問題もなく、ただ人酔いしているのだという結論で終わった。初めて何か薬をもらったのもこのときだったと思う。一度だけ何かのついでに大きな教会に連れて行かれて、何か福音のようなものを授けられたことがあった気がするが、定かではない。昔から熱心な信者とはとても言えなかった。
 仮に教えを信じていたとしても、声ならざる声が聞こえる、なんて、たとえ神にも口にするべきことじゃない。
 そのくらいの分別はついていた。これは秘密にしておくべきだと思った。他のひとに話してはいけない。気づかれてもいけない。
 なぜならこの力は人のそれではないから。化け物は正義の味方に討たれなければならない。そうあることが化け物の化け物たる所以なのだ。
 ぼくが徐々に覚えたのは心の均衡を保つ方法だった。耳をふさぐことはできても、心の声から逃げる術はない。ぼくがどうにかできたのは聞こえないつもりでやり過ごすくらいだった。ミドル・スクールで覚えた煙草はそれなりに役に立ったが、根本的な解決にはならなかったし、睡眠時間はどんどん短くなった。学年が変わるごとに錠剤の名前が変わって行き、それぞれの作用・副作用を覚えるのもだんだん面倒になった。
 とはいえ長きに渡って付き合ううちに、この忌々しい声ともそれなりにうまくやれるようになって、それなりに学校を卒業し、きっとそれなりに就職するのだろうと思っていた。あの日、迎えが来るまで。

 今でも軍に入ったことが自分にとってよかったのか、それとも病院に隔離されていたほうが幸せだったのかどうか、よくわからない。そのときだって、自分の進退について深く考えたわけじゃなくただぼんやりと、閉じこめられて病人扱いされるのは嫌だな、と思っただけだ。
 戦場がどういうところかよくわからないまま、ぼくはいろんな書類にサインさせられ、衣食住の保障と引き替えに命を担保に入れた。



 ――いつか、誰かが言った。

『お前の能力は俺たちを守るために使うもんだ。あいつらじゃない。間違えるなよ』

 そのときぼくは吐瀉物を嚥下しながら頷いた、と思う。










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