まとめ1

★狸ちゃん

 化け物だ、と思ったのはほんとうだった。人間ではない別のなにか。動物に近い、それもかなり凶悪な。
 曲目は、ゾディアックフリーゼスオーバー。
 彼はただでさえ小柄な身体を丸めて、マインドハープを抱いたままささやかな演奏を続けている。
 人外の力の片鱗などおくびにも出さない、華奢な子どもの外見は、しかし確かに“ふつう”ではない。金色の目、白い皮膚、若緑の髪。触れたら壊れそうな印象なのは、正直詐欺だと思う。
「……マクミラン君、演奏中止」
 ぴたり、と音がやんだ。彼はくすりと笑うと、僕を見上げて首を傾げる。
「提督、任務ご苦労様」
「やめてよ、もう。何か用事で?」
 この人にからかわれると勝てない。これが年の功というやつか。
「ごめん、オト。ちょっと『のぞき』に来ただけだよ」
 ……なにがごめん、だ。なにがちょっと、だ。連邦軍のそこらの将軍より権限を持ってるくせに。あああ、机の上のそれはまさか、新型母艦の詳細書類じゃあるまいな。まったくこの人は抜け目ない!
「ロック……、僕じゃなくてもっと上の人から直接聞けばいいんじゃないかな、そういうのは……」
「ん、たまには練習しないと、忘れちゃうからね」
 といって鳴らしたブラドレーホルヒ。……忘れるのは演奏じゃなく、いわゆるハッキング技術とかそういうもののことだろう。虫も殺さないような顔してよく言うよ。





★少年と

 触れることさえ躊躇われる宝石のような、冷たい温度のまま輝く彼はいつも痛みを堪えるように笑っていた。
 僕はその腕に大切に大切に守られていたくせに、彼の長い生を省みればほんのささいなことで音を立てて傷つくやわな心を案じていたのだ。こんなに優しいひとがどうやって何百年も生きてきたのか不思議だった。
 儚いようで強い、だけれど疵は人よりずっと多い。
 僕が泣くたびに細い腕で強く、強く抱き締めて。大丈夫なんだと、自分がいるよ、と慰める。
 じゃあ、あなたには?
 僕にはあなたがいる。でも、あなたには……?


 僕にはそんな残酷なこと聞けもしなかった。
 あなたはいつも悲しそうに笑うばかりで、一度だって泣き言を言わないから。





★眠る彼はうつくしい

 すう。
 夜の帳は落ちはじめ、物音は暗闇に吸われてどこかに消える。まだ底冷えのするような、星も音をたてない静かな、静かな夜だ。月のあかりだけがひびわれた窓から差し込んで、壊れかけたベッドをあおく照らしている。
 リューブはどこか遠くから呼ばれたような気がして目を覚ましたのだったが、聞こえるのは規則正しい呼吸音だけだった。
 すう、すう。
 まだ浅い夜とは反対に、ロックは深い寝息をたてている。
 着の身着のままの野宿の旅だ。リューブが寒いと訴えたがために、彼はその身を同じベッドに許した。

 ふと、キレイだなあ、と思う。

 リューブは醜い。
 誰かにそう言われたわけではない。ロックに聞いたのでも、もちろんない。彼とともにしばらく旅をして、自然に悟ったのだ。おのれは醜いと。
 かつてはそんなことは概念ごと知らなかった。彼が、ロックに会うまでは。

 目の前に現れた彼は、まるで星のようだった。

 そのときリューブはいまよりずっと学がなかったので、彼を見て何を思うより先に「狩り」に必死だった。そんなリューブたちをいともたやすく振り払い、さらには彼の反撃によって怪我をしたリューブの治療までしてくれた、その段階になって初めてリューブは彼を見た。
 星が落ちてきたのだと思った。
 碧い髪や白い肌は彼が異なる場所から来た人間なのだと雄弁に主張していたけれど、何より金色のしんと冷えた目にリューブは驚いたのだった。優しく触れて、行け、と言ったことも。
 そのころからずっと、ロックはリューブにとっての憧れの対象である。ものを知らないリューブにひとつひとつ根気よく教え、力の使い方を導き、いまも一緒に旅をしてくれる。奇跡のようだ、と思う。
 嘘みたいだ。

 ふいにロックの瞼がふるえ、あの金色の目があらわれる。リューブの目はひとよりずっと夜目がきくが、ロックはたくさんの目を持っているから、すぐにリューブの視線に気づいた。音もなく微笑んでくれるのがうれしかったが、どうやら彼はまだ眠いらしい。珍しく怠惰に横になったまま、瞼をもう一度落とす。

「まだ朝は遠いよ、リューブ」

 眠ろう、朝になったらぼくが起こしてやるから。
 彼はかすれた声でそんなふうに言った。彼のことばはまるで子守歌のようにリューブの耳に響く。一も二もなくうなずくと、どこか遠くから響いた呼び声のことなどはすっかり忘れて、それきり思い出さなかった。





★月のかたち


 彼は夜のように深く静かにただ優しかった。
 突き放すときもあれば受け止めるときもあり、その裁量はいまになってもこちらには推し量れなかったが、どちらにしてもその腕は冷んやりと柔らかく激情を洗い落としてくれた。
 いつまでもさみしいと泣いてばかりいるならなにも生まれず、なにも始まらないだろう。だから笑ってみせて。きみの笑顔がぼくは好き。
 星がぱらぱら落ちる夜に、赤ん坊をなだめるみたいに彼は言う。あなたのことばがあんまり優しいから、だから涙が止まらないんです、と訴えたら彼はどんな顔をするかな。




★からっぽダンス

 ごん。

 頭蓋が硬いものにぶつかる音で、目が覚めた。
 起き抜けの痛みに悲鳴も出ない。体が勝手に縮こまるのを、黒い影が笑っている。
 どうやらぼくは寝ていたところを蹴り飛ばされたらしい、と気づいたのは、革靴の底にこめかみのあたりを踏みつけられてからだった。コンクリートに直接寝転がっていたし、背後は壁だ。おそらくぶつかりでもしたのだろう。
 きりきりと徐々に体重をかけられて、痛みが増す。頭のかたちが変わってしまうんじゃないかと思うくらいで、轡の奥からぐ、と苦痛の声が漏れたのをひとごとのように聞いた。やがて足は満足したのか退けられたが、そのまま肩を蹴って、あおむけにされた。
かすんだ目を凝らすと、やはりというかなんというか、ぼくを「納入」したらしいひとが立っていた。

「家畜のようだ」

 そう吐き捨てて、今度は胸に足を載せる。芸がない。べつに万人がこういう技巧に詳しい必要はないのだけれど。
 それにしても、家畜とはひどい言い草だ。いまぼくの肺を踏み潰そうと、すこしずつ体重をかけているのは誰だろう。家畜のように扱っているのは誰だろう。

「……ぐ、」

 喉が勝手に音を立てる。気管が詰まれば誰だって。踏んでいる足の持ち主もそうだ。
だからこれは。

「この、覗き屋め」

 ……何でもないことなのだと思うまでもなかった。そこにはほんとうに、何もない。

 信仰に似た純粋さで暴力をふるい、自らの醜悪さに溺れながらぼくをその足の下に踏みつけようとする彼を笑った。皮膚に当たる手はかさついていて不愉快だったがはたき落とすことはしなかった。
 何にもならないのなら手をやる必要はない。芽の出ない種に水をやっても花は咲かないし、躾のなっていない犬を撫でても意味がない。それと同じだ。
 彼らはぼくを上から下までつついて満足して、そして怯える。ぼくにとって彼が"彼ら"であるように、彼にとってぼくはぼくではない。
 朝日が登れば彼は正気に戻る。そして自分の矛盾をぼくに吐き出すだろう。そのほうがよほど有益だ、おたがいのために。





★snuffed

 かれはかえるなりソファにすわりこんで、深いためいきをついた。スライはかれの足もとにすべりこんだ。てつとあぶらとちのにおい、外のにおいがする。
 かれがみじかく、かすれた声でスライを呼んだ。ソファにあがるのはゆるされていない。スライはからだを起こすと、かれの手がおりてくるのを待った。
 ひとつスライの頭をなでると、かれはとんとん、とソファをたたく。どうやらきょうはそこに行ってもいいようだ。ふだんはとってもおこるのに。
 スライは一瞬不思議に思ったが、すぐにあるじに飛びついた。知らない人間にはかぶりついたようにみえたろう。
 しろくやわらかいのどに鼻をはわせて、においをかぐ。

「おまえはいい子だね、スライ」

 かれのことばはよく聞こえる。スライというのは名まえだ。名まえをくれたのはかれではない。かれははじめからスライのことをよくしっていた。
 鼻をかれのあごへのばすと、かれはくすぐったそうにわらう。よせあった肌がつめたく、しかし、ここちよかった。
 かれの指はスライのそれにくらべひどくなめらかにうごく。スライには見えないしとどかないひたいのまんなかや、耳のうしろ、くびすじ、みたいなところをとくべつきもちのいいやりかたでなでることができるのだ。
 おもわずのどをならしてしまうとかれはくすくすとおかしそうに笑った。

「自分のことを仔猫だと思ってないかい」

 そんなことはない。
 スライはもうおとなで、からだも大きい。だいぶまえにかれにのしかかって、けがをさせたことがあるのだ。しかられたし、それよりなにより悲しかった。
 だからスライはもうこどもではない。
 わるいのはスライではない、とおもう。スライはじゅうぶんにわかっている。だから、わるいのは、かれの指だ。かれの指がなによりじょうずにスライをなでるからいけない。
 スライのようなするどいつめはないが、いっぽんいっぽんが長く、やわらかい指だ。
 うれしくなってその指をなめると、いたいよ、と笑いながら、かれはスライの頭をこづくふりをした。










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