クランベリーに溺れて





 わずかな間接照明以外は、そこらじゅうに煌々と光るタッチ・パネルが明かりのかわりだ。この部屋には窓がない。基本的に暗闇ゆえに天井がどこかもわからず、底知れないほどの大きさの回路に囲まれているだけだ。中央の執務机にも無駄なものは全くない。つるりと冷たい表面にあたりの光が複雑に反射して不思議にきれいだが、味もそっけもないのもまた事実だった。担った役割のわりに寒々しいほど機能的に特化した意匠のこの部屋は、いわゆる帝国政治の中枢、この銀河で人の手の届くところすべてにわたる、ありとあらゆる情報の集積である『ライガー・1』の胎内である。
 パパはその机(言わば「皇帝の椅子」だ)に座るのはどうも嫌らしく、床に座りこんで机に背中だけを預けた姿勢で、隠されていたコネクタに無数のコードを差し、持ちこんだ小型の端末に繋いで黙々と操作している。僕がその隣に腰を下ろしてから、もう一時間以上経った。
 極端にすくないまばたき、蜜色の目は奇妙に古めかしいラップトップの画面をじっと見ている。僕には何だか難しい話や記号が列挙されていて、パパの指先はほとんど絶え間なくキーを叩く。
 そりゃ僕だって時間とESPが使い放題なら同じようなことは不可能じゃない、と思う。データを「のぞく」くらいなら今でもできる、はずだ。自信はあんまりない。
 でも、現状は残念ながら時間もESPも制限されてる。それにたぶんパパもやり方は教えてくれないだろう。「よく見ていなさい」、それだけだ。そもそも無理を言ってついてきたのだから、邪魔をしないくらいしかやることがなく、実のところ僕は時間を持てあましているのだった。

「ね、パパ。終わりそう?」
「ん……もうすこし、かな」

 パパは脇に置いた白いボウルから、クランベリーをひとつぶつまみ上げると、ゆっくりと口にいれた。わざわざ僕に買ってきてくれ、と頼んだのがそれだ。酸味が強くて生で食べれるようなものじゃないのに、パパは無表情に、それでいて味わうようにひとつぶずつ噛みしめる。やたらに酸っぱくて僕はあんまり好かないそれを、彼はまれに欲しがった。
 パパは基本的に何がしたいとか、何が欲しいとかを言うことがない。欲が無いんだよ、とかつて僕らを育ててくれた人は言っていたけれど、それならその珍しい欲って言うのがこれなのだろうか。
 赤い粒がパパの口のなかで弾けて、その果汁を滴らせるさまを想像する。無意識にか唇を舐める舌がすこし赤く染まっている。並びのいい歯も同じようにやや赤い。普段よりもずっと機嫌がいいようにも見える。生のクランベリーは僕にとってはグロテスクだけれど、それでパパがご機嫌になるなら越したことはない。

 “ナガト”に会ったあと、パパは必ずひどく不機嫌になる。

 先の事件で生存が発覚したナガト帝は、公的には未だに死者のままだ。ただでさえ混乱している国家だ、ようやく軌道に乗り始めたトレス帝の治世を揺るがすことのないように、という判断に基づいて、ナガトの存在はごくごく秘密裏にされ、帝国内部にも知るものはすくない。
 そのうちのひとりがパパだ。そもそも自我を失っていたナガトを助けたのも、揺らぐ帝国の基盤を支えたのも、裏にはパパの活躍がある。現在は意識障害が残り起きあがることもできない第二皇子の「セテ」マイノック大公に代わって五公国を治めている多忙な身なのに、こうしてときどき呼び出されること自体迷惑で気に障ってもしょうがないだろう(僕だってあんまり会うことができないのに!)。何の話をしているのかは知らないけれど、その直後にわざわざ『ライガー・1』にアクセスするようなことだ。きっとろくな話じゃあない。だいいちあいつ嫌いだ。パパに恩があるくせに、あの偉そうな態度ときたら!……まあ偉いんだけれど、今は隠居してるだけじゃないか。

「そんなふうに言うものじゃないよ、テオ」
「……『言って』ないよ」
「聞こえてた」

 彼はこちらを見もせずに、おまえは無防備だから、と言う。

「もうすこしちゃんと『遮蔽』しなさい。緩んでる」
「……はぁい」

 ため息がこぼれる。見通したように言われて腹が立ったわけじゃない、むしろかまってもらえてちょっと嬉しいくらいで、自分でも単純だと思うけれども気分がすっと浮上する。
 彼は僕らの間接的な師で、遺伝子母体で、何より父だから。パパは僕らの絶対で、すべてだ。
 僕らはこの宇宙に産まれてからずっと、パパの夢を見てた。

「わっ」

 ぼんやりしているとふいに頬に冷たい感触がして驚いた。後ずさろうとしたのを柔らかい声が制する。

「まつげ、」

 それだけ言って、パパは僕の頬を撫でる。ほのかに苦くクランベリーのにおい、金色の瞳が僕をじっと見ていた。膝の上の端末は閉じられていて、いつのまにか作業が終わっていたことを知る。妙に恥ずかしくなって黙っていると、目元を擦るように細い指先が動くものだからたじろいだ。

「目を閉じて、じっとして」

 静かな声が耳を打つ。

「はい、パパ」

 僕はできるだけ速やかに、いくらのためらいもないことを示すために言われたとおりにする。僕が僕の意思でパパに逆らったことは一度もない。
 その指先がまるで慰めるみたいに僕の目尻のあたりを行き来する。目に痛いような気もするような酸いにおいに顔をしかめる、パパから“におい”がするなんて珍しいことだ。

「……取れたよ」

 ふっ、とパパが微笑む。その指先に乗った自分のまつげが、ぽろっと何かの拍子で落ちてゆく。どうしてかすこし残念だ。
 何て顔してる、とパパにからかわれて初めて気がついたけれど、よっぽどおかしな顔をしていたようだ。赤くなるのを自覚しながら、もごもごと礼を言う。

「ありがとう、パパ」
「テオ」
「え、何、うわっ」

 そのまま寄りかかるように抱きしめられて、間抜けな声が出た。
 今のパパの見かけの年齢は、たぶん今の僕よりも二つか三つくだるくらいだ。細い腕がその見た目のままの力で、遠慮がちに僕の背中に回る。

「すまない」

 僕の肩に顔を埋めてすがりつくみたいな、こんなパパは見たことが無くて僕は何も言えなかった。空調はやたらにきいていてすこし肌寒かったほどなのに、いまはあつい。
 何に謝られているのか見当もつかなくて目を白黒させたまま、こちらもおっかなびっくり抱き返す。パパが何かに悲しんでいるらしいのに、おろおろしているだけじゃだめだと決心して、口を開いた。

「パパ、どうしたの?」

 もろに動揺しているのがわかるような、うわずった声だったけれど、とりあえずそれだけ言えた。パパは顔を上げないまま、手の力だけすこし緩める。
 ごう、とさっきまで気にならなかった換気の音が、とてもうるさく聞こえる。

「……30年だなんて、」

 ――短すぎる、か、それとも、知らなかった、か。後を続ける言葉はいくらでも見つかる。それを聞いても驚くほど冷静な自分に気がついた。
 僕らクローンは不完全ないきものだ。テロメアだか何だかという細胞がおかしいらしく、ヒトの四倍の早さで老化する。ESP治療も効果はない。むしろ自分がESPを使用するたびに細胞が劣化し、長くて約30年しか生きられない。
 それを知ったとき、僕だけじゃなくロザンナも妙に落ち着いていた。まるではじめから知ってたみたいに。深く悲しんだのはむしろトレス女皇たちのほうで、何より、パパの嘆きようは僕らにとっても辛かった。
 誰にもどうしようもない、仕方がないことなのに、いまのように何故か自分を責めるようなことをときおり言うから、僕はそのほうがよっぽど悲しいのだ。

「え……と、あのね、パパ、僕らはパパのことが大好きなんだよ」

 頭のなかで言葉を選びながら、ゆっくり言う。

「そりゃ……、そりゃあね、もっと一緒にいたいし、いろんな話をしたいし、聞きたいけど。でも……でも僕はとても幸せなんだよ、それはぜんぶパパのおかげなんだ」

 だから、謝るのはやめて欲しい、パパは何も悪いことをしていないのに。

「……愛してるよ、テオ」

 小さな声が肩から聞こえる。

「愛しているよ、おまえもロザンナも、ソイやリデルのことだってずっと……」

 パパの手が、僕の髪に差し込まれる。梳く手つきが優しくて気持ちがいい。そうしながら彼は顔をあげた、予想通りの、痛みをこらえるような顔を。

「でもぼくはおまえのために泣けない」

 だめだ、パパ、そんな顔をして言わないで。

 本当は。
 本当は、忘れないでとすがりたい。泣いて、怒って、叫んだら、きっとパパは傷ついてくれる。絶対に忘れないと何度だって誓ってくれる。
 でもそれじゃだめなんだ。
 たかだか20年とすこししか生きていない僕ですら、出会ったすべてのひとのことを覚えているわけじゃない。ナナより上のきょうだいたちの記憶すら曖昧で、そもそもナナといつもどんな話をしていたか、何で笑って何で喧嘩をして、一番最後にナナと何を話したかも覚えていない。
 あんなに大事だったのに、どうして忘れてしまえるんだろう。
 パパは僕らの何倍生きてきて、これから何倍生きるのだろう。その間どれだけたくさんの人と出会い、分かれて、また出会うのだろう。
 今ならそれがわかるから、だから、もうパパをそんなひどい嘘つきにするわけにはいかないんだ。
 あんな嘘は一度きりでじゅうぶんだ。それで満足しなけりゃ、きょうだいたちに申し訳が立たない。
 だって、こんなにも愛されているのに。

「たとえおまえたちが何かの目的で産まれてきたのだとしても、ぼくは……生きていてくれるだけで、テオ、」

 あいしてるよ、ぼくのかぞく。
 うん、と頷く。今度は僕がパパの肩に額を押しつける番だった。
 ありとあらゆる情報が集まるこの銀河の中心で、今この瞬間だけ、僕とパパはふたりきりだ。だけどすぐに会えなくなる。次に会えるのは最後の別れのときかもしれない。
 それでも今はこんなに愛してもらえる。

「僕もずうっと愛してるよ、パパ」

 赤い果実の酸っぱいにおいが鼻についた。

 ロザンナが倒れたのは、それから三日後のことだった。










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 テオたんかわいいよテオたん