青い狂気
と、ジョミーはブルーをそう評している。狂っている。彼は完璧なうつわで狂った中身を覆い隠している、それがあまりに上手なものだから誰も気がつかないだけだ。もしくはその狂気でさえ完璧だから。
――赤い炎はおそろしいが青いと不思議と美しく見える。アタラクシアでの科学の実験を思い出しながら、ジョミーは棺のような寝台におさまった少年(の姿をしたばけもの)を見た。
“それ”はジョミーに何度も触れようとし、そして中途であきらめるという動作を繰り返していた。若いジョミーがよく飽きないなとあきれて思うほど。
ジョミーがアタラクシアから逃げてきたその日、ソルジャー・ブルーは死ぬ予定だったという。だからこその強硬手段であったとも。用意された棺と死装束とを見ればそれが眉唾ではないとわかった。
それ以前は体調がよい日はたびたびブリッジに出てもいた、とキャプテン・ハーレイは言った。しかし今のブリッジにソルジャーの席はなかった。
かつてはシャングリラを見てまわってときおり保育エリアにも来ていたそうだ、と子どもたちも言った。しかしその子たちのなかの誰もブルーの肉声を聞いたことはなかった。
ジョミーは、ミュウのひとびとが口々に「ソルジャー・ブルー」の名をとなえるたびに、シャングリラ全体でのブルーの存在感の薄さを思った。
彼らがその名を出すのはいつも自分たちではどうにもできないことが起こったとき。
「ソルジャー・ブルー、お助けください」。
大人たちはまだしも子どもは転んですりむいたときにすら泣き喚きながらそう祈り、願う。
なんだこいつら。みんながみんな、手をひいてもらわなければ歩けもしない赤ん坊みたいじゃないか。ジョミーはそんな苛立ちまぎれに「ソルジャー・ブルー」の響きから耳をふさいだ。その名を出されるたびにジョミーの頭の中には、青ざめ指先を震わせて、椅子にもたれかからなければ己の体重すら支えきれないひどく痩せた少年の姿があらわれる。そして突き飛ばした瞬間の軽さ、もろい、と思ったその華奢さ。だが彼はジョミーを追った。肉体に依らず精神の力だけで。
青い炎は消えかけている。
はじめて直接に対面したソルジャー・ブルーは、おそろしく尊大な少年だという印象を残した。ジョミーの言い分などなにひとつ聞く気がないかのようないいぶりに憤慨した。組んだ細い腕をつかんで突き飛ばしてやりたいとすら思った。
それができなかったのは、あの目だ。あの目のせいだ。
ぞっとするほどにつよいあの目。確かに自分を見ているのに、どこを見ているのか一瞬その先を追ってしまいそうになる。あれはつまり、気狂いの目なのだ。
視線が強すぎる。ミュウの連中はあれだけ繊細なくせに、よく気圧されないでいられる。風のようなかた、だなんてあの盲いた女は何を見てきたのだろう。“それ”は燃え立つ炎だ。風だとしたら地獄に吹き荒れる熱風だ。
何かひとつしか見えてない人間の目というものが、あんなにおそろしいとは思っていなかった。
ソルジャー・ブルーが一般に体の虚弱なミュウの中でも特に体が弱いということを知ったのは、それからすこししてからだった。
あくまで少年の見てくれだったので信じがたくもあったが、若さは表面上だけだというのはすぐに明らかになった。彼の肉体は虫食い状態で、内側はほとんど死んでいる。幼い外見をとるのは成長に身体がついていけないと判断されたためだ。驚くほどの手間をかけて、ブルーの外見はうつくしく保たれている。だがその裏側まではどうにもならない。
もしジョミーが正気の状態で“それ”を突き飛ばしたりしていたら大事になっていただろう。ただでさえ繊細なミュウだ、その上彼は自力で立ち上がることすら難しい。受身を取るだけの余力も怪しいとドクターは言った、それも加齢のせいだなんて冗談のようだ! なんともはや、あれほど力強くジョミーをここに縛り付けた男は現実には枯れ木ほどの強さもなかったのだ。
事実彼はもうこの艦の最奥から絶対に外に出ない。あらゆるものをただ床に臥して待つだけだ。ぞっとするほどの執念だとジョミーは思う。
自らの死も希望も何もかも、訪れを待つしかない、年老いた白い子ども。
だけれど彼の目はひとを刺す。
先ほど、ソルジャー・ブルーは緩慢に瞼を上げた。この一瞬だけ彼の目はゆらゆらと不安定に揺らめく。起きぬけは焦点をあわせることが難しいのだと本人が言った。光量が生活圏内の限界まで押さえられた(ジョミーなどにはほとんど真っ暗闇だ)この部屋ですら彼には眩しすぎる。
そうやって、普通の人間の何倍もの時間をかけてブルーは起きる。食事はしない。彼が続けて起きていられるのは最大でも三時間。食べる時間と消耗する体力がもったいないのだ。
――おはよう、ジョミー
そして今度は、喋る手間すらもったいないと言いたいらしい。
――ああ、すまない。そういうわけだ。ただすこし挨拶をと思ってね
「気分が悪いです、そういうの。心の中をのぞかれているみたいだ」
――……そうだな、君の「言うとおりだ。悪かった。ジョミー、これでいいかい」
……この男は。
ゆらゆらとたゆたっていたのはつかの間で、既にあの目に戻っている。枯れ木はつかの間燃え盛る大樹となって、ジョミーをまっすぐに見返す。
命を燃やすとはよく言ったものだ。
ああ、起き上がる動作の遅々としたことといったら! そのくせ胸を張ったその姿勢、痩せた身体は確かに病人のそれであるのに、ジョミーは何故か萎縮する。
「年をとるのはいけない」
熱があっても身体が冷たい。
手のひらをひらりと宙にかざして見せ付けてくる。だがその指は手袋の下、彼はいつもそうだ。自分のことを何か一枚の布で遮ってから話を始める。
彼の姿かたちを覆っているのもその薄っぺらい布きれだ。つまらない包装で醜い中身を覆い隠して、それですべてを騙している。
彼はそれきり何も言わなかったので、ジョミーも口を開かずただ寝台の横に座り込む。マムに拗ねて見せて甘えたあの夜と同じ。
思い出さないようにしている過去が、ここでは簡単に露出してしまう。幸せだった記憶がいまはただつらい。
この状況がまったくの不幸なのかというと、ジョミーにはわからない。あのまま残っていたほうがよかったと思うことはもうできなくなってしまった何も知らずにいた過去の幸福を反芻してつらいだけなのだろう。
それでも、毎日のように死に直面するのは、ジョミーの肩には重いのだ。
「あなたはどのようにして死に慣れた?」
ふと思い立って先人の解を求めると、一拍おいて返事が返った。
「仲間たちがいたよ」
この男にしては凡百なこたえだ。彼の仲間は大勢いるが、ジョミーにはいない。模範解答だが融通は利かないよ、ソルジャー。
そう思ったのを読まれでもしたのか、彼は小さく笑った。
「大勢の仲間たちの悲鳴をあまさずこの阿呆になった耳で聞いた。どのミュウの断末魔も皆軌跡として残してきた」
そうして、自分の耳を覆う補聴器を指さす。無骨なそれは彼の耳のかわりにしてはふさわしくない形をしていた。
「じきに、君にこれを渡すことになるだろう。幾千万のミュウの叫びが聞こえるよ。否が応でも」
忘れることはない。
「僕は君にも、忘れることを許すつもりはないのだよ」
ぐらり、と視界が揺らぐ。眩暈を眩暈として認識するよりも早く手が出た。
立ち上がって相対した目はやはりじっとジョミーを焼き付くす温度で、スウと冷える背筋を感じなかったことにしながら彼の襟首を掴む。
「あんた……は、最低だ」
ブルーは、ジョミーの言葉にすらうつくしく笑った。
「僕の耳にはいつも皆の悲鳴が聞こえる。けれども僕の目にはいつも、地球が見えている」
夢を見る子どものように安らかで希望に満ちた、長い旅にくたびれ果ててなお救済を願う聖者の貌で、音楽に乗るようになめらかに。
それ以上歌うな。
「青い真珠――愛しい、僕たちの故郷……」
及びがつかないほどに様々な死を経験している、ジョミーの知るそれよりも遙かに深い絆を何度も何度も失っている。そして、すべてを踏み台にすることに慣れろと言っているのだ。
その福音のために、希望のために、ジョミーに狂えと諭している。
「……これまでの多くのミュウがあなたの欲の犠牲になったわけだ」
あえて過ぎた皮肉を口に乗せるが、震えた声ではかすり傷にもならなかったに違いない。まるで乳児でもあやすようにブルーはジョミーの腕に触れようとする。ジョミーはかぶりを振って彼から手を離すと、半歩引いた。触れられたくない。
ブルーは伸ばした腕を、そのままに、すこし憂いを帯びた笑顔を浮かべた。
「……すり替えはよくない、な……、ジョミ……」
と、彼は急に声のトーンを落とす。しゃべることで疲労が徐々に蓄積されると、ブルーはこうして急に口を噤む。
何度かジョミーに触れようと指先を動かしたものの、こちらに寄るつもりがないと悟るとふぅ、とため息を落とした。どうしてだろう、こうまで衰弱しきった男なのに、首を絞めても宇宙に放り棄てても、ソルジャー・ブルーは死なないような気がしてならない。
きっとこの艦の人間はいつまでも、「ソルジャー・ブルー、助けて」と祈るのだ。彼の身体が宙の塵となったあとでも、かつての姿を瞼に浮かべて。
蒼く暗く静かなこの部屋は棺、ブルーはすでにほとんど死した偶像なのに。ジョミーはその死んだ熱情を継ぐ。継がなければならないのだ。怒り、動揺、それに似たものが駆け抜けてジョミーは泣きたくなったが涙は流れなかった。この男はジョミーが何を喚いても後悔などしやしない。
いまはもうこの薄暗い墓場に、狂った死に、耐えられそうにない。ジョミーにはこの背を追うしか道がないのだと奥歯を噛みしめる。
――君に大人をからかうのはまだ早い。……早く大人になりなさい、ジョミー
楽しみだ、とまるで我が子の成長を見守る親のような口ぶり。怖気が走る。
呪いだ、これは。
「あなたの見ていないところでね」
吐き棄てて、ジョミーはその部屋から逃げ出した。その背中に重い視線を受け止めながら。
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