愛でも恋でもありゃしもないのに





 この星に来てもう何年になるだろう。
 事務所の壁掛け時計の電池が切れていることに気がついて、俺はふいに考えた。前に替えたのは何年前だったか、確か同じ事務所だったはずだが、さて。
 そろそろ引っ越すかぁ。惑星警察とも折り合い悪くなって来たことだし。
 いわゆる共同生活相手のロックは、いまは浮気調査に出ている。手元の資料を読みながら、俺はどこから資金を繰るかを考え、すぐに諦めた。ないものはないのだ。先立つものは後からなんとかすればいい。どうせいまはツレもいやしねぇし、ロックなら文句をいいつつ適当にうまくやる。
 ……そういえば、ロックが浮いた話をしているところを、見たことがない。
 ふと記憶を漁るが、自分の彼女がどうこうとかそんな話を聞いたことはおそらくなかった。もうン百年も暮らしていて一度も。
 もちろんプライベートのすべてを把握しているわけではないし、実はいるのかもしれない、が、俺が夜中に帰宅するときは必ず家にいて、本を読むなり家事なりなんなりしている。夜間外出の気配すらない。そんなヤツに女がいるだろうか。
 男から見ても顔立ちは整っているほうだと思う。愛想も派手さもないし、人がみな振り返るようなものでもないが、見たところごく一部で熱狂的にモテるタイプだ。過去には結婚経験もあるような話もしていたし、固定の相手を作らないとか、そんな性格でもないだろう。
 だが、それにしても。
 いるならいるでいいのだ、報告は義務ではない。だが水臭いとも思う。あとで問い詰めようか、なんせご長寿なのだ。いろいろと面白い体験をしているに違いないし、そんな話とはかけ離れていそうなロックのことだ。たまには色めいた話もいい。そうと決まれば酒でも用意するか、と思い立ったところで、

「ただいま戻りました!」

 当人が珍しく大声を張り上げて帰宅した。

「おう、おかえ……」
「先生ッソファか何かドアをおさえるものを持ってきてください!」
「なな何だぁ?」

 帰って早々どたばたと走り回り、玄関にバリケードを築きはじめたロックは、行きはきちんとしていたネクタイをポケットに突っ込み、ジャケットもシャツもクシャクシャにしていた。
 どうにかソファを運び終えると、ロックが深いため息を吐いた。こんなに疲労の色が濃いこいつははじめてだ。

「何だよ、たかが素行調査だろ? 何でそんな慌てることがあるんだよ」
「……した」
「た?」
「やっちゃいました」
「……何を?」
「話せば長いんですけど、とりあえず、頼みますよ先生」
「ってお前だから何を」
「ロックうううぅぅ!!」
「ヒッ」

 そのとき、近所じゅうに響き渡るんじゃないかという男の叫び声が扉の向こうから響き渡った。

「ひどいじゃないか!! 僕を捨てるのかい!? あんなに君に尽くしてあげたのにぃ!!」
「近所迷惑だ、帰ってくれ!」
「嫌だ! 絶対に離れないぞ、君が僕のところに戻ってくるまではここにいる!!」
「ああもう……だからあれはお芝居だったんだよ、ジャン! 嘘! わかるだろ?!」
「僕は諦めない!!」
「……おい、ロック、おまえ……」
「誰だ!? そうかお前が彼を誑かしたんだな!! 許さん、このドアを開けろォ!」

 ああ……なんか薄々察してきた……。
 俺は頭痛のする頭を抱えたあと、ロックのほうを見た。助手はものすごく緊迫した顔をしていた。

『話を合わせて』
「は?」
「そうだよジャン、だからきみとはもう終わったんだ。もう帰って」
「ろ、ロック……?!」
「マンションもエアバイクも手紙も全部いらないからもう金輪際関わらないでくれ。元恋人を警察に突き出すなんてぼくもしたくないんだよ」
「ロック、君は騙されてるんだ。こんな……探偵事務所だなんて、ひどいボロアパートに住むことはないよ。いつもの優しい君に戻っておくれ」
「……もう! ハントさんも何とか言ってください!」
「何とかっておまえ」

 こんなメロドラマに鉢合わせなんかしたことないぞ俺は。
 しかし外からデバガメの皆様のガヤガヤという声が聞こえてくるわロックは睨みつけてくるわでにっちもさっちもいかない。くそ、ここはやるしかねぇか。

「あー、ジャンさんつったか。二股かけられて悔しい気持ちはわかるが、そろそろお帰り願えるかい」

 おまわり時代のドスのきいたしゃべりかたを再現しながら、俺はテレパシーでも何でもいいからロックに伝わるように、この馬鹿野郎!! と心の中で叫んだのだった。





 騒音にブチ切れたご近所のコワモテの皆様がたの手により男は運び出され、俺たちは頭を下げて回るはめになり、ますます引っ越しの決意を固めることとなったのであるが、それよりなにより原因究明が先である。
 その後眠らずに事情聴取に取り組んだ甲斐あって、とりあえず大筋は把握できた。
 素行調査は依頼人の積極的な協力により、順調に進んでいた。依頼人、つまり調査対象の奥方だが、彼女はその立場を利用して、夫のスケジュールを知悉している人間をロックに紹介したのである。
 ジャンはターゲットの第一秘書で、知能教養礼儀作法をひととおりよくこなし、大変な信頼をおかれていたらしい。俺には眉唾だが。
 対してロックは何でも校外学習に熱心なティーン、という設定で、わざと似合わないスーツを着たのは依頼人の提案だそうである。

「イメクラかよ!」
「しょうがないでしょう、スーツ着たら50万クレジットくれるって言うんだから」
「ごじゅっ……」
「合意の瞬間振り込んでいただきました。ていうか先生イメクラて古いですよ、通じませんよ」

 的が75度くらいずれたツッコミは無視するとして、降って湧いた収入に愕然とする。それでなくとも今回の調査はありとあらゆる経費を依頼人が出している。眉ひとつ動かさずにさらさらと小切手を切る奥方の姿は記憶に新しい。……そうとう腹に据えかねているようだった。

 さて、そこからが問題である。
 ジャンという男はもともとそっちのケでもあったのかロックがストライクゾーンど真ん中だったのか、出会ったその日の夕方に連絡先を聞いてきた。戸惑うロックに奥方は「良かったわね、あとは煮るなり焼くなり自由よ」と清々しく笑ったという。
 そこでロックは考えた。というほど何も考えていなかったがちょっとは考えた。こういうときのセオリーは決まっている。だが、たかだか浮気調査程度でそこまでする必要があるだろうか。正直めんどくさい、いろいろめんどくさい。

『ちなみにジャンも高級取りだからお金には困らないわよ』
『明日会ってみます』

 即答である。

「……なあそんなにお前金に困ってたか?」
「どこかのだれかさんがお給料を払ってくれないので、とりあえずもらえるクチからはもらっておこうと思いまして」

 いつからそんなさもしい奴になったんだ、というのはギリギリで飲み込んだ。
 藪蛇をわざとつつき回すことはない。

「で、何をもらったんだ」
「まず、専用の通信端末。これひとつでちょっとした車が買えるそうです。ただし指定された番号としか通話できませんし、メールの送受信も不可、ネットも見れません。二回めに会ったときに渡されました。いまは個別認識チップを抜いて、GPSも使えなくしてあります」
「何それ重い。他には」
「ええと、ふたり乗りのエアバイク、海辺のマンションの最上階の角部屋一室、希少な年代もののワイン数本、アクセサリー系3点、日用雑貨15点、食事は毎回あちら持ち。ドレスコードに則った礼服やらオーダーメイドの服やら、時計、タイ、セミオーダーの靴などなどもいただきました」

 貴金属系は後で片っ端から質屋に持って行こうと思って保証書の類も揃えてあります、と言うロックにうすら寒いものを感じる。と、いうか、やたらに多くないか。この調査が始まったのはひと月ほど前のことだ。

「毎日会ってたのか?」
「そんなわけないでしょ。秘書って忙しいみたいで、三日に一回くらいですよ。電話は毎日でしたけど」
「にしては貢物がやたら多いな」
「よっぽど自信がないんでしょう。真面目すぎるきらいがありますから。マザコンだし」
「マザコ……」
「まあ素直でしたから簡単に調べはつきました。力を使うまでもなかったです。……というか、依頼人に思うように使われたと言いますか」
「ちょっと待て待て、先に聞きたい。何だってお前、あの兄ちゃんに押しかけられる羽目になったんだよ」

 あっやっぱりそれ気になります? とロックは言う。どうも流そうとしたらしい。
 さっき誰と土下座して回ったと思ってんだよ。

「ええと、あの、今日はランチのあとに彼の家にお招きを受けてですね」
「ほう」
「いや、まあ、そういうアレになるじゃないですか」
「なるのか」
「ならざるを得ないでしょ」

 いやまあそれはそうなんだが。
 さらりと返されて何故かきまずい。ロックは変な顔をして、想像しなくてイイですから、と言った。しねえよ、したくねえよ!

「別に彼の家にお邪魔したのははじめてじゃないっていうか、わりと早い段階から行ってたんですけど、ほら、いまのぼくってハイスクールって設定じゃないですか」
「ああ、『明日学校だからもう帰らなくちゃーまたね』か」
「『部活の朝練が』とか応用形もありますけどね。今日のもそれで乗りきろうと思ってたんですけど、どうも彼的には気合十分で」
「ていうかお前、今日土曜日だろ」
「……だったんですよねぇ」
「バカ?」
「返す言葉もございません」
「それでプチ修羅場ったってわけか、笑えねえぞ」
「他にも相手がいるんじゃないのかから始まり延々泣きつかれて。しつこいんですよね、彼」
「だろうな。でもお前もなあ……」
「わかってます。ああ、ちょっと絆されたりしなければよかった……」
「絆されたのかよ」
「は?」
「いや、なんでもない」

 話が一段落したのか、ロックは乱れたシャツの襟もそのままに、腰掛けたソファにジャケットを脱ぎ捨てると首をぐるりと回す。とりあえずさきほどの顛末についてはなんとなく理解したので、続きをロックに促した。

「まず、対象はバイ・セクシャルでした」
「えっ」
「浮気相手は第一秘書のジャン・クロード、足掛け5年の付き合いだそうですが、ここ最近は性格の不一致から不倫関係にヒビが入りつつあったとの証言があります。交際期間中でかなりの額の金品のやりとりがあったようで、個人資産のデータ推移もいちおう挙げておきました」
「は?」
「だっておかしいでしょう、いくら大企業の代表取締役秘書だからって、そこらの子どもにぽんとマンションを与えるなんて」
「いや、まあ、それはそうだが、ええぇ?」
「だから、二股かけられたのはこっちのほうなんですよ。依頼人は何年も前から計画してたみたいですね。いまごろは離婚手続きでもとってるんじゃないですか?」
「……つまり、旦那の浮気相手ってのがさっきのジャンで、さらにジャンの浮気相手がお前で、依頼人は旦那に復讐するためにお前をけしかけ、結果不毛な三角関係が成立したと」

 ロックは神妙に頷いた。ただのピエロにも程がある。
 ことのすべてを企てたのはあの虫も殺せなさそうな奥様か……女ってこわい。

「報酬は入ったことだし、ぼくとしては、できるだけ早くここから逃げたいです。多方面の痴情のもつれで疲れました」

 よほどストレスが溜まったのだろう、ロックはふはあ、と深いため息をこぼす。やっぱこういうのは向いてねえよなお互いに。

「……まあなんだ。お疲れのところ悪いが夜逃げ準備だな」
「賛成です」

 足取りも重く立ち上がったロックは、カバンに無造作に贈り物を詰め込んだ。金目になりそうなものとそうでないものに仕分けるのも忘れていない。
 俺もぼーっとしてはいられない。必要な書類をファイルすると、簡単な荷造りをする。たいていのものは置き土産にするが、万が一惑星警察や連邦の手に渡ったらヤバイものだけかき集めた。洋服なんかはあとでも買える。とにかく軽装、これが一番。慣れたもんだ。

「おい、ロック。こいつはどうする」
「捨てちゃいましょ。先生、コーヒーメーカーも新しいの買って下さい」
「あー、おまえの稼ぎでなんとかなるだろ」
「……」
「ていうかお前どっちもいける口なのな」
「……はあ。まあ」

 口数がぐんと減ったのは下ネタだからか、算盤を弾いているからか。
 驚かなかったと言えば嘘になるが、ロックには驚かされてばかりだし、何というか、どんな美女にもなれるやつに今更な話だよな。ほんとこいつは何でもありだ、見た目にいつも騙されるが。

「ま、いーけどよどーでも」
「あれ、意外ですね」
「俺はゲイとオカマは嫌いだが、実害がなきゃ特別どうでもいい主義だ」
「はあ……。でもモテるんですよね、そっちのひとに」
「だから嫌なんだろーが。……てか、ん? ジャンが旦那と付き合ってて、あれ? もしかしていまのお前の彼氏は俺か?!」
「……ああ、そういうことになりますね」
「ふざけんなよおい! 実害じゃねーか!!」
「だって仕方がないでしょ、ああでもしないと」
「だってもくそもない! だいたいお前なあ、慣れないことやるから」
「そんなこと言ったってああするしか」
「他にいくらでも手があっただろーが!」
「そんなことないですよ」
「あるわ! ああもう疲れる、生意気言ってる暇あったら手を動かせ!」

 暖簾に腕押し、糠に釘だ。
 ロックは意固地になるととことんだから、それ以上の追求はやめた。

 ことこの助手に関しては、知らないことがまだまだ多い。もう一緒に暮らして何世紀経ったのかわからないが、お互いに出会う前の話はした覚えがなかった。ロックにとってはこちらのことはお見通しだろうが、それを表面に出さないってことは知らないという意思表示だ。そのくらいの信頼関係は築けていると思っている。
 だがたまにこうして彼の新しい一面を垣間見ると、ほんのすこしざわつく。俺たちはアカの他人だということを意識せざるを得なくなる。いまこのときを友として過ごしていてもいずれは、そんな恐怖の味を思い出す。
 ……バカバカしい話だ。笑い飛ばしてしまおう。未来の話なんかして何になる。

「……ところでお前ほんとにヤったのかよ?」
「……それ聞いてどうするんですか、先生……」











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